様々が不自然と気づく
一昨日の朝にかけて、何度も自分に言い聞かせるように、そのような「解釈」を促されるかのように、意識がぼんやりの状態で浮かぶモノがあった。
言葉で言われている訳じゃなく、感覚でワタシが捉えているので、そこに言葉を付けると…
「自分の意志でやっている、行っているようでそれは、その意志を持つように、その方向へ行くようになっている・・・」みたいな感じ。
意識のある状態で私たちは、自分の”意志”を持ってモノ・コトを決め、行っている、と当たり前に思うのだけども。内容的には『そうじゃない』というあくまでニュアンス的に。言葉にすると”違う”と聞こえるけども。
昔よく?、「自由意志の有無」みたいな事が言われていたと思うのだけど。私はある・なしに関心を持った事はないという立ち位置での話。もちろん正解というつもりもなくただ私が、
「この”決心”をする事も、周りのアレやコレやがうまい事ミチを作ってくれて、必然的にその様になるお膳立てのようになっているのかな?」
と思った。
私にとって、解釈をキッチリ決める事なくどちらでも良いのだけども、背景的には「そういう事よ」という軽い感じで捉えようと。
ここから考えていくと、自分の人生の中で合点がいくものがままあって。これも、こんな事が発生しなければその様に結んで考える事などなかったはずで、あちら側(無意識側)からのきっかけで、そんな事が意識に上がり、またクルクル~っとして向こう側から良い時に上がって来て。
とにかく、こういう事を”知らされる”と余計に、任せておいて大丈夫という信頼が強く、太くなる。
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「メッセージなのかな…?」
主人が帰宅早々に話してきた。
大体これも高確率の”お決まりパターン”。私はそれを知って何か言う訳じゃないのだけども、真面目な話、少しぶつかり気味の話になる時の翌日、主人に重ねるように言葉が届く(主人の周辺が動く)。
「その継続は本当にいいのかな?」
という事を重ねて本人が感じた、と。本人の意識に入ったから、それにフォーカスできる状態になったと言えるのだけども。そういう事が起きて本人のガードが少し崩れてくれる。そしてまた反対も入る・・・。
Mー1王者が号泣しながら「諦めないでやって来てよかった。・・・」というコメントを見て主人に言った。
「本当に両方出てくれるんだよね、そしてだから迷うんだよね。迷わせてくれるの(*^^*)」
私は、自分がそういう時、外に正解を求めた時、「どっちだ」と正しい方を決めようとしていたという経験談を話した。そしてだから、
「自分で決める、という事なんだよね(*^^*)」
と、重ねた。
どちらが正解だった、どっちが良かったなんて、仮に今の時点で判定したとしても未来の自分はそう思うかどうかなんてわからない事。そこには、プラス(ポジティブ面)を捉える思考も育っていないと、延々執着する事になる可能性もゼロじゃないのだけども。
それでも。
私は、必ず必要な事が起きてくれている、その事象が有難いと思っている。
夕方の風に踊る緑たちを眺めて。
「気持ちいいな。こんなに自由だ…」
スッキリした気持ちで頬はたるんでゆるんでいた。