自分に怒られる(笑)
いつもシラフにしかなり得ないのに、酔っ払いみたいに(コラ)遊んでしまったmixi2。
始めの時の勢いというのは、それはそれでおもしろいと思うのね。当然勢いは落ち着いてくるわけだけど、いつもと違うアタマでパッカーンしていたのでこれはこれで楽しい。
というわけで時間が押してしまったのでサクッと!
順・逆の方向と、意識・無意識のこと。
ノートの整理片付けで目にした…まだ付箋が貼ってあったから。目を通した殆どは、大分遠くに過ぎ去ったもののように感じて「✖」をつけて終わらせた。すでにきちんと読み返すことにも抵抗として感じるくらいに”古い”と思った。
それでも、その時の私は真剣にそれを考えてメモしている。この半年以内のこと。付箋を貼っているものはペンディングのものもあるけども、”何か書けるかも”という期待をした私がいたことは間違いない。
ただこれが私に嫌悪をもたらした。
卑しい。
そんなもんはどんどん次々やってくるだろう?
何言ってんだよ。
たまに私からカツが入る―――
はいはい
おっしゃる通りだよー!
・・・
昨日はふと、いきなり手元のノートの整理となった。
定期的と言えばそうなのだけど、本当は探したいメモがあったから手元の何冊かを探したのだけど。そして付箋を立てているそれを確認して最終的には付箋を剥がしてノートを片付けて終わった。
今フォーカスしている事がやはり以前から続いていると分かるものであったり、何で残しているのか分からないものはそのままペケにしたり。殆どは上記の通り”古い”と感じた。
そして今なら簡単に「捨てられる」それらは、今だからそう思っているわけで、本当にその時は”新しい事”として自分の中から湧いてきている。だから新鮮でメモしているのだから。
まだ何か、ここから展開するかもしれないという期待がその時あるから、発展・展開を待っている事もあるわけで、それらが直接の形でないにしても、自分の中から既に出されていると感じているものは、素直に終わらせることが出来てしまう。
無意識に片付いてしまうと、そのかつてのメモは役を終えるわけだけど、ついでにどうも手厳しい私の声が同時に届くシステムになっているようで…ホントカ?
大体、突っ込まれるよね(笑)
アホか!みたいな。
これが結構イヤじゃない。だってその通りだから。
時の経過によって”執着”の状態と感じるのだけども、本当にコトというのは、次々どんどん前からやってくるので、向きは基本”前”を向いていた方が良いね―――。
書いていて思い出したけども、この前を向いた「順」の向きで純粋にコトに当たっている時、殆どが無意識だよね。振り返るという「逆」の向きになった時、意識が立ってくる。
前向きの順状態で、”意識”を働かせることも勿論できるのだけど、やるという行いの時に一々意識を発動させるのは、かなりのエネルギーを使うことと経験から思っている。それだけ多くは無意識によって動作できているという事…、だから”その時”ではなく、認識はズレてからじゃないと分からない。
そしてこの間も考えていたのだけど、人の頭は目の前のことを処理するのに、頭の中に入って考えないとソレを色々と判断などをする事ができないのだと思った。
目の前のことに対しての”結果”は知っている(分かっている)。だけど、ソレを目の前の情報だけで、結果に辿り着くこと(作業をこなす事)が出来ずに、”そんな簡単な事”ができないという経験が先日あった。
簡単なエピソードとしては、ワン達のご飯皿。色で誰かを分けてあるのだけども、フードを入れていくのに、その皿の置き場も決めてある。私の中に作り上げているパターンで回すために。
だからまずはその皿を並べる時には、いつもと同じ位置に置いて始めるわけだけど、それがこの色はここ(誰某の皿だから)という事が4つとも分かっている(結果)のに、考える隙を与えない動作のままで行った時、即座に置けなかった。
⦅こんな簡単なのに(笑)⦆
少しスピードを落として皿を置いた自分に笑った。それは二度ほど経験した時、その結果に辿り着くまでのアタマの複雑さを感じた。たったの”こんな事”の処理のために、一瞬でそれをする為に。幾つものことを重ねて”その事”を成している、と思った。
”分かってる”から。
そんな事は”分かっている”のだから、やるのも簡単だと私は思っていたわけだけど、その時はそんな事に遭遇して処理することは結果を知ってる事とまったく違うものなんだと感じた。
コトが分散していると、”考える”ことが一瞬では混乱するのかもしれない。いつも無意識でやっていると思っていたその動作は、少しスピードを上げると脳はちょっとついて来れないかのようだった。
一つ一つならばきちんと処理してくれる。アタマの中へ入るという事は、何かができるという事に繋がるのだ。