ワン達のそれと重ねてミル
9/9メモ 重陽の節句
・場所が変わっても”自分は”変わらない
・”そこに居る”というだけで、自分も変わるカメレオン。
・神経のおおよそが“身体情報と繋ぐ機能”という事であれば…。
ワン達の散歩の様子を見ながらまた思う。
この自覚のある”意識”が時にジャマであり、司令塔でなければならなかったり。”こちら”が臨機応変でなければならないと思った。
身体はいつもしっかりとサインを出している。その無言の言葉が解釈できないから、私たちは「自分の思う側」ですべて処理しようとする。
9/9メモ
「自分のことに集中しているだけ」
それもそれを見る人たちが自由に刺激を受けて、そこからエネルギーをもらうかのように、自分の中の力を出すきっかけになるのなら―――。
それは他者に役立っているという事になるね、無意識に。
それが出来るという事は、自分が”他者のために”と力を入れ過ぎなくても、自然と人は良いエネルギーを受け取るという事(勿論その”逆”もあり)。
外の”何か”の、どれと響くことができるかな。
”自分の中にあるもの”
外のそれに(その時の状態に)合ったものが引き出される。
環境という”周り”が大切な理由はここにある。もちろん、自分のコンディションによって引き出される”自分・力”は異なるから、体調管理大切!
9/11メモ
そこでは端折っている。
どうしても、ある一つの時点(地点)で見えることに触れる時、他の事はそこに”介入”できない自然な排除。せいぜいこの頭の後ろの方をサーッと流れて気配だけは感じさせてくれる。
分岐がある。脳内には”分かれ”があったことを観ることができるのだけど、その末端、表現の段階では、一つの側面しか表すことができない、話す時も書く時も。
9/13メモ
経験が視える表現は、きれいでもなく。簡素でもそこに重さが見えてくる。
・・・ ・・・ ・・・
「どうしてこのノート(メモ帳)はここにあるんだっけ?」
手元に置く使用済みのノートは、目的のあるものだけで、”自分がまだ確認する”と決めているもの以外は別の場所に片付けている。
ふと気になって見た、一番下のノートの一部を上げた。
「まぁ、そんな事もメモしたね…」
という様な内容だったり、今でも”そうだね”と思うことだったりと、色々だけども。
その中でやはり内容でなく、「全体」として観ると、殆どの何の影響もない様々・細々としたことを、その時によって「大きく」見せられる焦点。少し後になれば、意味をなさずに流れていってしまうものも多い。
そちらの方が圧倒的に多いのかも知れず、なのに何故、過去を見てみるという様な事をするのかといえば、現在に思うこととして浮かぶままに言えば、「自分の傾向を知るため」という感じ。
内容自体に活かせる具体的なこともあるので、例えば”カメレオン”のメモ。その時は短い動画視聴で、移動するカメレオンが背景に合わせて見事に身体をカラフルに変えて行く姿に感動したのを憶えている。
そのコトを、この人間生活に当てはめてイメージするので、学びは「そういう所」にあったりする、私の場合。
で、もう一つ思うことは、「後には何にもならない事に、私たちは時に何かを”最大化”している」という事が言えるのかと思う。
何かが”浮かんで”しまって、その空間(世界)にハマり、ハマり過ぎると時に中々抜け出せなくなる空間。恐らく、「この空間内の”その具体的なコト”」にハマるという事は、”現実でハマっていない”、という事が見えてくる。
空間内でなく「現実で行う」ことで、そのハマる状態は行っている訳だから、それが本来の「ハマっている」状態、という事と感じている。身体の活用の仕方、得手不得手という個人差、特徴はあるにせよ、そんな風に感じる。
・・・
ちょっと中途半端になってしまったので、昨日の心残りの部分を(笑)
昨日の最後にワン達の話を追加しているのだけども。毎日・毎回じゃないにせよ、ワン達の行動を見て、そこから感じることは非常に多く、人にも当てはめられると思って見たりするのだけども。
昨日の話の内容からは、「(観察は犬だけども)、人は、”何か”をしていないとやり過ごせない」のではないか、と考えている。
かつて私は「暇つぶし」という表現をした事があるけども、今回に合わせて少し表現を換えるなら「時間つぶし」。ただジッとして待つことは、生きているモノにとってはかなりの「苦痛」なんじゃないかと感じている。
ニコルの”グルグル回転”のことは「気になる」としたものの、ミルクにそれがないかといったら、「該当するソレ」はあります。ミルクは自分でそれをあみ出し(笑)、何年も日々続けています。
※動画貼付をする予定だったのだけども貼付可能なものが限られているのかな(?)
昨日書いたミルクの”小さな左・右の回転”は、おやつ時の限定動作。ご飯前の「待ち」の時は必ず何分でも決まった場所、わざわざ狭い難しい所でおもちゃのゴム片を、咥えては投げ咥えては投げをくり返し、食べたい欲から「自分の気を逸らしている」という風に私は感じています。(その行いを”自主トレ”と冗談で言っています)
そうして待ち時間を他へ使い、待ちきれないエネルギーをミルクはその様に逃していると同時に、一旦気を逸らしているので食べる時には余計に「快」があるのではと感じている。
食に対してそこまで強い関心のないピースの、”待つ”行動は・・・、布ものの破壊。ピース様にあてがっている古着を引きちぎる(ような)動作をくり返す。
脳の興奮状態を、「ただジッとして待つ」という事で消化させるのは、生き物にとってはもしかしたら難しい事なのか…と感じている。
そもそもその「何か」に関心がなければ、脳がその様な状態となる反応もないので、いきなり何かの”動作”に出ることもないと思うけども、その”関心事”直接と、そこから離れつつも関連はしているものと。直だけでは分からない事があるのだと思っている。
そしてそれが。
人間である「私」にとって、困る行動か否かという事によって「気になる・ならない」が自然と振り分けられている。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!