記憶の連続
朝方には止めて、起床後いつものヌボータイムでメモをしていた。
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11/7メモ帳
眠りが浅くなってそう思ったのか、うるさいと感じて目覚めたのかどちらかは不明。とにかく「うるさい」と思った。何度も目覚めてしまったから。
私は静かなのが好きで、日常もそれを好んでいる。
で。
この”うるさい”と思った感情(実感)は、正しいとは限らないだろう?と、何度も目覚める中で思った。
「感情に正しいも正しくないもない」
”そうだ”というモノ、としか思っていなかったけど、そう感じる事自体は自分の事実でも、その感覚が正しいとは言えないモノ、と思っていたから。
前日は流して”心地良く”感じて眠り、翌日は一日安定していたという事だったという前提で観たら、今日は何だ?となる。
音は変わっていない。
私の捉え方が変わるのだ。
もっと言うと、感情も仕組み的に脳のハタラキなら、不快と感じた”私”の感覚(そう感じた心)が「エラー」だ。
『眠りの妨害』➡静かに眠りたい➡夜中のアレ
古い経験から来る、私の感覚・感情。
心が正しいのではなく、それらによって在るのが”私”というもの、になっているという事・・・。
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「単なる古い記憶」じゃなくて、肉体で全身で感じた恐怖と共に刻んだモノは、上辺では消えない。悲観しているのでなくて、実際にそうだから。
上辺部分(意識側)では、恐いと思う事などそうそうないし、「恐いと認める事」はそれ以来起きていないという事実があるのに、”古い記憶”は、似た環境・状況で、それに伴った「記憶」を引っ張り出してしまう。そこに自分の意思は自然と従ってしまう…意識しなければ。
私には幼少期に同居していた酒乱の伯父のエピソードがある事は、何度か触れてきているのだけども、既に亡くなっている人、この表意識で何も怖れていない状態、でも、深い所(古い記憶)は状況によって引っ張り出してくる。
安心・安全の為に「静かに眠りたい」、何ものにも邪魔される事なく。いつでも穏やかな環境で過ごしたい、日常を。そんな願い、「記憶」があるな…と感じて、ヌボータイムで書いていた訳だけども。
「いつの話をしてるの?もう終わった事だよ?」
今の私は、当たり前にそう考える。それが今の意識。
それでも、そのエピソードとしてその周辺に絡む事を記憶しているのが、古い意識・記憶。子供の頃に怖いと全身で感じればそれは更に強く記憶されてしまうだろう、とは理解している。
だから。
それを責めているのではなくて、そうだったんだよね、でももう安心して良い、間違いじゃないけど…、とそれがホントに「今」の事なのか、古い所からの記憶を”今”としてしまっているのか、を丁寧に精査するようにしていく。
子供の頃から若い頃にかけて体験した「強迫性障害」の状態も、そう考えるとかなり納得がいく。病的にもう、「ソコというものから離れられなくなる原因」があったから、何度もくり返し同じ行動をし続けた…心では「イヤだ」と思っているのに。
様々な経験から、本当に全てが繋がっていて、何ひとつ突発的な事は起きていない、と思う。
と同時に、それが「記憶の連続」という事を自然に行っている動作だと実感している。
今、今、今…
その連続と、理屈では解っても、アタマはその様に一々切り離して考えたりしない。だから無意識に色々を繋げて考えたり、捉えたりしてしまう。
「カクカクシカジカで、これに繋がる…」
と、平然と私は書いているけども、それらも全て、私の”脳”が繋がり先を見つけ出したに過ぎない。脳は脳で仕事をしているだけ、ハタラキは悪くはない。
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買ってザっと読みで、置いてある本に目を通そうかな、と少し思っている。その前に昔の本をもう一度読もうと読んで途中になっていた本を読み切ろうと一昨日読んだ…ホ・オポノポノ。
『過去からの記憶をクリーニングすること』
ひと言で言えばこの事しか言っていない。そしてこれがまた、しっかりシンクロするタイミングで読むんだよな、と”同時進行”で目にする事に少し笑い、納得しながら読み終えた。
〈記憶の連続だから”クリーニング”しよう、良いもイヤも全て記憶の再生。「本当のことはわからない、しらない」〉
というのは、自分の記憶から見た世界に対する観方、”自分のフィルターをクリーニングしよう”、という事。
その様に見てないつもりでも、自然と観てしまっているから、「そのまま見ましょうよ」と、色々と教えてもらっている・・・
知らんけど(*^。^*)