ミラクルってどんな?
もう何年も(私は気学8年目)土用というシーズンを迎えていて。今までにこんなに「土用」の不安定さを実感した事がない(笑)
嫌な事と言っているのではなくて、「不安定」を強調している。
その不安定は、もの凄い「土用ミラクル」も持ってくるので、本当に変動の幅が大きく、その意味で「土用らしい」を実感している次第。
私が初めて「土用ミラクル」の詳細を説明するならば、以下の様な言葉を付けます。
今までは、感覚でしか捉えていなくて、今年は土用に入って早々に色々の変動を感じて「そうだ」という様に、私の中で納得したものでした。
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これはずばり、「普段見えない範囲」、「普段に知り得ないモノ(コト)」に触れる機会に遭遇する、という事。これ正に”土用中のミラクル”と、私はハッキリと掴みました。
少し分解していきます。
普段私たちは、いつもの「安定ゾーン」で、普通の、安定的な言動でいられる事が多い。普通という特に何かに意識されない状態は、まぁ、人間にとって楽、な事。
それが。
自分の居場所、土用期間の醸し出す”不安定”な中に入る事が出来ると、これはいつもと違うゾーンにいる訳なので、いつもと違うものに出会ったりする。怖いものという話でなくて、ここは「ミラクル」の話で括っています。
Facebookなどでも今回は珍しく、いつもあまり響かない、安定の主人が”土用を食らっている”と書いた。
丁度一週間前の土用入りの日、私はこの期間を利用してというつもりは全くなかったのだけど、主人に「ストレートに上がってくるままに吐き出したい」と頼んだ。
で、それから何かが衝動的に上がってくる事などは特にないのだけども、私が感じたのは逆に、「主人の方」だった。
休日を抜いて、平日は会話をしても、いつも大して食らい付いてこないのにしっかり食い込んでくる強さ、いつもの「ふ~ん」で済まなくて、細かい事をいちいち言ってくる様子に、「いつもと違う」と凄く分かり易かった。
勿論初日にそれを伝えても、本人は自覚はなく主人は「そんな事ない、いつもと同じ」と突っぱねた。『まぁ、いいけど…』私も話を終わらせる、そんな調子だった。
2日ほど空けて、帰宅して再び同様の様子を受け取り、「間違いない」と確信して口にすると、今度は「この間言われて…、そうかもしれないと思った」と口にする。自分でも”土用だから”と、動きには注意するようにしている、と言っていた。
そして同時にその辺りで、主人らしくない言葉を口にした。
それは、今までの主人なら、絶対と言ってもいい位「口にする事のない言葉」だった。
よくよく話を聞くと、自分を否定する言葉は出さないけども、”価値観”に疑問を持ち「嫌悪する」と言った。
この時確実に「ミラクルだな」、と私は受け取れた。
ある事に対して、主人が以前のままであろうと、それに疑問を持って(内心で)否定しようと、それ自体は現時点でどちらでも構わない事。ここは変わる可能性が、突っ込んで言うと「ココを通って行く」という風に視えていて、「今までの範囲”外”に居る」という事が分かったから。
”状態”は不安定だから、変わって行く可能性がある経過としていて、だけど、普段ではそこへ中々届かない所、価値観に入っている事が「ミラクル」という様に捉えていた。
気持ち自体は、本人は”嫌悪”と言っているのだから、気分は良いものではないのだろうけども、内容的には「悪さ」を全く感じない、先へ繋がる湧き上がりだったので、良いなと感じた、という話。
昨日の主人の休日も、話が大いに盛り上がり、「もう本当にこの土用は凄いね…」と話していた。それを、土用が明けてからもう一度しっかりと「固める」事で、安定させる。
そんな予定(計画)であと10日(長い(笑))、丁寧に土用を過ごす(*^^*)
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こちらは私の事。
先日、「試しに、あるテスト(実験)をして行こう」と、主人との会話から始めた。
始めからミラクルで、その後私の体調や土用と重なっている事を考えて、現在は一時中断状態だけども。
それを行う経緯が、私にとっての”気づき”だった。
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1/18メモ
人というのはホントに(笑)
認識(ここでは”知識はある”の意)しているのに、それをそこから、その範囲から拡大又は浸透させる事を「別」という風に「分けている」という事に、自分で驚いてしまった。
何というのか、「別」も何も全く”気付いていない”という衝撃の方がピッタリだった。
主人と潜在意識の話をしていた。
その内容は”当たり前”で。でもその当たり前は、私の脳内にある範囲に於いての事だったと、主人に言われて気づく・・・そして試す。
本当に何がヒントになるか分からない。
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本当に「分かっている」状態を、「分からない」へ戻す事は、自然に出来ることではない、と痛感した事。
アタマ→(そうだよね)
当たり前の様に”納得や理解”として通過させる。そしてそのウラ側にしっかりと、”切り分け”の状態が存在しているこの不思議。
「その当たり前」を、なぜ自分は、自分で、「やる」にならなかったのか。やってみてもいいのに。やりたくない理由がある訳でもないのに。拒否もしてない、難しさも感じていない・・・、やらない理由は?
「どこにもない」
こんなおかしなことを普通にやってしまうんだ、とおかしいし、拍子抜けしてしまった。
その時自分の背後を予測できたことは、
「それはその人(過去の偉人・能力者)が凄いから・・・>私には出来ない」
という思い込み。
レベルの差はあったにせよ、抵抗もないのに”思い込み”によって、行う事をそもそも排除していた、という事への気づきだった。
無自覚な”遮断”て、どれだけあるのかな?
そんな事に気づいた土用中の出来事だった。