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何をベースに敷いているか

これは以前に触れていて、また軽く頭にあるのだけど。

それは、「これを書こうと思っている」ことの説明に絡み、この事が押し出されてきた、という事なのだけど。

湧くままにメモしておきながら、軽く読み直しを何度か行って…、それでも自分の中で、「どういう風に書けるか」という事が明確にならなかったから。

この数日、内側から圧がかかる様な身体のきつさがあったりして、ホルモンの変動と理解できるタイミングなのだけど、身体だけでなく、どうにもメンタルもきつくて”土用も食らってるな~笑”、なんて思ったりもするのだけど。

久しぶり(?)の負担感があって、静かに流れていくのを見ている…そんな頭だから余計に”明確にならなかった”という事にして、ポツポツ書いて行く。

・・・ ・・・ ・・・

コトの進捗が、12345と→の方向で進むものと、54321という→の方向で進むものとあったとして。それは手順の踏み方がまったく逆の進み方をしているだけで、目指している事は”同じ”というもの。

順序、段階というものがあって、それに沿って事は何か進めて(進んで)行くのだけど、それが他の考え方「枠組み」からみると、まったく逆のように見えたりする…だから違うとか、それは逆だとか。見え方は当然そうなる。

本当に極論で言えば、「どの様でも良い」といつもの様な表現になってしまうのだけど、この意味は、結局ソレというものに向かうと決めた時、そうする事がもう当然の流れとしてこの身がそうある時は、手段云々とか”やり方”などの細かさに拘ることなく、ただこなしていくという事で、後で整理はできるものだから。

この「整理」の中で、それら行い続けていた事の流れや、やって来たことの詳細が自分に把握されていく。もうそれで大分詰まってくれば、そのサイクルは自然に回り、こなす時にはただこなしていく、静かな時には内側を観ていくなど、「やる事」も自分で分かってくるもの。


言葉で理解したいというのは、人がそれによって「分かる」ため。多くは言葉によってその事の理解を進める(のかな)。ただアタマの使い方によっては、必ずしも言葉によるものが良いとは限らず、そこにあるものから学習した方が納得できるという者もいる。取り込み方は人のそれぞれで、それに合っている方がスムーズ。

話がメモに寄って行かないので、ここからはメモを元に…。

何が違うかな…?
他者の理由のつけ方が違うというだけで、その選択自体が間違っているわけじゃない、という事を考えることができた。

それは、相手を尊重するとかいうものとも全く違うと感じた。

”分け方”

理由のつけ方が違うと言うのは、”分類の仕方”が違うという事だ。その個人の箱、どの箱の中にそれを入れるかによって、他の箱との結び方、そこから選ばれる「選択」が変わってくる。これが個人によってまちまち。そしてこの選択というのが、言葉による表現の事であれば、「言ってる事(書いてる事)」というもので―――


他人だから言える
他人だから言わない

どちらも私の中で”何か”が整理された結果に、言う言わないの選択をしている。この選択に至るまでの事を、わたし(私)などとするので、そのわたしの部分は基本的に侵してはならないのだ、と思った。

そしてその経緯の結果として、「他者のそれを尊重する」という言葉は、表での在り方として使えるだろう…と思った。

メモを書いている時、同じところ、状態を明らかに目指しているけども、その所々では選択=使う言葉が違う…逆と感じる状態があった。

その”逆”は、それは間違いという意味でなく、「逆になるには、どういう考えから伝えばそこに辿り着くのか…」という様な事を、漠然と考えていたというものだった。

よく書くように、「それは他者の感覚、”私”とは関係ない」とそこで切ってしまえばそれまでなのだけど、この時はそうは思わずに少し辿っていくと、やはり人による「前提」の部分が違うから、という事で納得した。


この次元であれこれ考えると、やれ違う反対だ、それは間違っているという事になる事は、私も主人とのやり取りからよく分かっているのだけど、ふと「ヌケタ」ところで見直すと、「同じことを目指しているんじゃないか」という事で我に返る。それなのに、なぜそんな所で詰まってしまうんだ…と。

それは、本当にムキーーッとなる状態の時には、そう簡単に抜けたりしないので、それ自体も場合によっては簡単じゃないのだけど、ここでもやはり「なぜだろう…」という問いが、そのスキを自分に与えてくれる。

人は自分の頭の中の情報を結び、その中から出力をしている。体験経験、これまでの時間のこなし方、その編み方…もう全てが違う。それを頭の中で結んで出力している。


「経緯」は同じじゃないという事は、何度も自分に言い聞かせる。

何を自分の中に信念として固め、その事を前提にして脳内で結んでいるかは、全く人によって様々なものとなってしまう。

素直に他者のそれを尊重できる姿勢があるなら、それでまったく良くて。とてもそんな事は思えないという事としても、やはりそれは他者の考え方であるので、どこかで線引きとなる。

他者には他者の引き受けることがあり、自分には自分の中で、時間を使って編み込んで行くことがある。途中の経過・詳細は違っているから、それぞれの存在が引き立つ。

・・・ ・・・ ・・・

”目指しているもの・状態が同じ”という所だけがしっかりと固定、一致していれば、重なった時にその事が増幅される。「3」という位置で、ヒューッと上の向きへ↑吸い込まれるかのように、その力が確認できる様な感じがしている。(私の頭の中のイメージなので、これはひとり言)

元は、その次元から落としてきて、人は手段として詳細を語っている。この世の次元で言葉を使い、理解できるようにする為に、色んな枠組みで整理されたそれを語る、分けられた世界。

この次元では、分かれることで見えるようになっているんだろうね。

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☆うみのみか☆
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