忘れた様であるモノ
今日もいつかのノートよりnoteへ。
これは行った事があるんだっけ?
ん??違う。夢だったよね。うーーーん、そうだよね。確かに夢だったよね…。
食事中、ふと頭に上がったイメージ(画像)。その場所が行った所か夢での場所か、よく思い出さないと判別できない事が重なった事があった。そしてその時、思った。そういう事か・・・。
「夢か現実か分からない自分」。
記憶はこうやって現実との区別がつかなくなる…即ち忘れていく。
これが、何かの拍子にポコッと出てきて、新しい記憶と結びつき、発見!のように感じてしまう。自分では初体験と思っているからそりゃ、目新しい。
キレイにしたつもりでもやっぱり、「あるモノ」を再生、リピートでしかないのか。ホ・オポノポノをここでも思い出す。
このリピートは、今自分が生きる人生の記憶の事だけでなく、同じように長く長く忘れ去られていった歴史上の全ての記憶(記録)。
これが深く深く眠り、潜在意識となって全てに繋がっている。私が思う所、「アカシックレコード」と捉えてもいい。
もう既に全てあって。そこからパズルのように、個々によって組み合わされる。
時代を越えて、何もかもの区別を越えて。
「ある」所から引っ張り出し、活用しているもの。真っ新の「新」ではなく、誰も知らない未知が現れれば、その解釈は「新」となる。
つまんない様な、何とも、・・・な気分にもなった。
私のような、愚かな期待を持つ人間と違い、謙虚な姿勢で捉える人がいた事をここで知る。
正にグットタイミング。シンクロ。私は「ある」ものを良くつかむ(笑)
以下引用
何もないところからものを創り出していると思っているのは、人間の驕りだよ。生まれてからいままでのどこかで、耳にし、眼にした何かが、知らず知らずに入り込んだ記憶が、何かの切っ掛けで呼び覚まされて動き出す。そうやって、創造していくんだと思うよ。
故黒澤明さんの言葉でした。
感性の鋭い方は、それを当たり前の事として認識している所が凡人と違う所。
ほんとにね、知れば知るほど「無知」ってことに気づかされるから、鼻も伸びようがないのですよ。
恥じらい、謙虚、その方向にしか向けなくなって行きますね・・・。
「生み出したものなどない」でも、
「その発見が生み出しだ!」でも、
どちらでも良いことで。また思考の幅が広がったわけだから。
愚かな事もニンゲンだ。そんなんでも今日もススメ、ススメ~!