”意識”それしかない…
帰宅すると、ここから頭の中でのあれこれが始まるから、夕寝で寝ておくができなくて。昨日の様な状態になる流れも分かる、分かっているけども。
昨日は、主人の転院先での面談。予定時間より長くなり、ちょっと足を伸ばそうと思ってた買い物はやめて帰宅した夕方。主人への確認と再びソーシャルワーカーさんへの連絡とで、約半日が過ぎた…腹ペコで貪るように食べた夕食時間の昼食、夜は肉団子スープとサラダと決めてしっかり腹を満たした(笑)
救急で入る初めの病院とは目的がまったく違うので、当初の予想通り「リハビリ、かなりキツイですので…」との話を頂いている。回復へ向けて現在の自宅環境などの詳細聴き取りと、先々で注意していく事などをしっかり、みっちり…。
私は前日、主人とのlineやり取りで「意識改革!」と投げていて。
昨日ソーシャルワーカーさんに「もう…、意識、それしかないので」と言われた時には、そうですよね〜と応えながら、内心でもの凄く“本当にそれしかない”と別の意味でも頷いていた。
目的が違うと当然内容、そのスピードも異なり、話を聞いている私もとても勉強になる時間だった。
転院先のこの病院が入院中の病院から入手している紙面での情報と、前日の面会で私が主人に確認している“現況”とをあわせて、「大分違う(早い)」と言われた。回復が早いというのは、現在入院中の病院でも言われているようで、それはもう、一般的に高齢の方が多いこの部位のケガの患者、その肉体の違いが大きいのかなと思う。
「意識」という前にもう一つ強調されていたのは「角度」。動きは可能でしょうけども、股関節のその角度が大切と言った。それによって、そこにかかる負担がまったく違うと…。
家で「こうなるかもな…(その方が良いのかな)」の想定のことはみな言われた。だから驚きはしないけども、実際にやるならば大きな環境変化である事は間違いない。
少し痛めば無意識に反対側でバランスを取ること、それにより、逆側の負傷や骨盤をやってしまうなど、その周辺にケガを負い、再び病院…という事も珍しくないという。だから生活の中では、できるだけそのリスクが減るような環境づくりを、という事になる。
「痛いならまだいい、意識ができるから」という言葉はごもっともで、出来てしまうという、その”気”に引っかからない状態で「やってしまう」ものなので、「意識しかない」と言っている。本当にその通りと、納得しかなかった。
無意識で動かせていた身体を意識するという事は、「動きを丁寧にする」という事でしかなく、“いつもやれていて大丈夫だから”の、このスキに危険があるなら、そこは徹底していけば防げるわけで…。
主人に確認の連絡で応答の電話がきた時に話すと「そんな事しなくちゃいけないの…(なんかめんどくせー)」的な返事があったけども。ここなんだろうなと思った。
転院日の調整はこのあと進んでいくのだけども、出来るだけ早期に転院することでみっちりとしたリハビリ機能が受けられるので、またそうする事で回復の手助けになるもので、遅くなるほど倍々で回復の“損失”となる事を予防するという。
面会はほんとにオマケくらいの位置づけで、リハビリメニューをこなしている時間の合間を縫って10分だけ許される。当然ながら時間の取り方がまったく違う。この時、「それに合わせて動いていくんだ」と、大きな意味で私の動き(意識)も矯正されると思った。
あとは、また様々な書類を持ち帰り、頭が静かな状態で確認、記入を済ませる予定。夕方は頭がまだ“あれこれ”動いてるので、どうせ寝付かないからこれはスマホで横になりながら打っている…。でないとまた夜に眠くなる可能性が高く、それは避けたい(笑)(こうして書いていることで、しっかりと話が頭の中で整理されるところもあり一石二鳥)
主人の会社への連絡・準備してもらう書類、転院により私が準備しておく物など、そうのんびりしていられない事を控え、先にやる事を片付けておく予定でいる。
変わっていく時、変わる必要がある時。
それは、“こちらの事”の一切は関係なく始まるもの。その始まりによって同時に終わっていく、終わらせられていくものがあり、その時は「やっていく」という消化しなしかない状態になる―――普段の諸々なんて平気で吹っ飛ばされると表現もできる。
普段の中で、そんな状態・状況になる事はあまりないから、とても激しく流れも速いのだけど、それを過ぎて少しずつ新しい環境(在り方)に変わっていく事は、過去の経験から引き出せる思いがある。
「分からない事」は、そのコトから自分側の動きを選択していくことが基本。新しいことに対応する時はこの見方の方が自然。“今までとは違う”という事を自覚すること、受け容れことに、抵抗が出るのは自然なことだけどもーーー、
「痛い時はきちんと言って下さい…その痛みがどこのものか、どこが使われているかが確認できますから…」
リハビリでよくある話を聞いていた。
「ここを使うトレーニングをしてるのに、ココが痛いのは違うのです…だから、”はい、やって(^-^)”ってなります…」
この、プロ達の優しい表情と言葉、だけどその内側でしっかり観ている眼が当然だけどさすがと思った。“ここを使うのに…”。これはもしかしたら「そこに意識を向ける」という訓練をしているのかもしれないと、書きながら思った。それが“意識をする事”だから。
私自身が、大変勉強になっている。
(よし、これで最悪潰れても大丈夫だ〜)