便利だからこそ身体を使う
具体的になるのを少し観ていた。
私の中で映像(イメージ)は出来ていて、どの様な組み立てにするかを放置という名の”寝かせ”に置いておいた。
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我が家がテレビを見なくなって5年以上にはなると思うのだけども、主人が休みの日は、気まぐれかなんなのか、無音で映像状態の時がある…、しかも短時間で。何のためにつけているのか分からないほどに(笑)
ゴールデンウィーク中のとあるサービスエリア。
駐車中の車がビッシリのシーンが映っていた。
⦅違和感⦆
何かが違うと感じるだけであって、悪いと言う訳じゃない…でも違和感。
『車がみんな、ずいぶんとシンプルだね…?』
主人に言った。
これはそれ以前にもそんな話を主人としていたのだけども、「標準装備」でなかなかカッコいい状態にもなっているから、そのまま乗り出しでも十分カッコいい…、だけどそれが”一律”に、私の目に映ったから「シンプル」と感じた。
「手を入れていくからおもしろいんだけどな~(^-^)」
車大好き主人のその言葉には、納得しかなかった。
『車離れも言われてるし、そこにお金をかけるという感覚も必然的に下がるかもね…電気自動車なら下手にいじれないとか言うしね(;^ω^)』
時代は変わる。
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「もぉ~、こういうのさぁ…」
主人が運転中、こちらの優先道路への合流地点を前方に、車が入って来た。
『あぁ…、”距離が掴めてない”かも知れないね(^-^;』
人の判断が”それぞれ”という事に加えて、その時感じていたのは、「距離感が掴めていない」という事だった。
これはすごく重要なことで、距離があってもそのスピード、合流した後の自分のスピードなどが考えられていなかったら、「そのタイミングで出ちゃうの?!」という事になる。
運転に於いては、そっちがナンチャラと言ったって仕方なく、ブレーキ踏んで緩めなければならないのは、その周囲になる。
これは、”その感覚”を持っていないと、その計算ができなくて、その感覚は経験からその様に働くようになっている。
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空間。
距離、奥行きとか、モノとモノ。
自分と対象との間というのは、現場の感覚から培われる。それ以外にも立体的な空間の認識に慣れるという経験は、私は凄く大切な様に感じている。
脳にしっかりと立体を掴む感覚を記憶させることが重要だと感じていて、”平面”だけに慣れてしまうとそれが「普通」の感覚になり、想像の開き方が狭くなるように感じている。
身体を使って”加減”を憶えるという事は、とっても重要だと感じていて、それがあるから。”実感”を掴む。
ネットの世界だけで広げた想像は、実動との差が大きい。
実動によって初めて「起こることを知る」。
便利な情報世界だから、身体機能を使うことにポイントが上がって来る。
大人が手本を見せなければ、未来への導きはAIで十分。
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主人はいつだか、運転中(車庫入れ)に、上から見る目線がある事を話してくれた。私はその目線がなく、もの凄く驚いた事を憶えている。
改めてその話をしていてふと、「地図を読む目線から?」と聞いた。「それもあるかもね…」と言う。
ナビも殆ど使用しない&地図も活用しない”方向音痴(気味)”の私は、「憶えて走ろうとした」ことを思い出す。そこに上空からの目線はなし(笑)記憶は”平面”。
経験している事が脳の使い方を強めてしまうのは確かなので、小さいうちから色々な体験があった方が、やはり良いのだろうと思う。
上記とは全く関係なく。
でもすごく【重要】です(*^^*)
「自分の動作」を観てると、”不一致”に気づく。その頻度が多くなれば更に自分にとって目につくので分かり易くなる。
身に付けるより、どんどん削ぎ落して来た数年間があって、その上で昨年から動き出しの準備期間に入って行って。
自分の行いが気学のその流れと”合っている”と気づいた時、「その動きで大丈夫だ」と、自分を認めた。
「動き」の前までは、完全におもむろに「自分を優先に」してきた。
今までの自分を解放するように、労わるように。大切にムリは極力しない様に。そんな”手入れ”に何年もかけている。歳だって若くはないから。
準備を経て”動く”に意識を傾けている今年。気持ちの上で「何かをする・しない」ではなく、(既に行っている)行動(動作)で「何かをする・しない」に変わっている事に気づいた。
始めはやっぱり気づかず、「前はやりたい事(”自分”優先という意味)を優先したよなぁ…」という気持ちだけ掴んでいた。
それが。
何度か繰り返す事で、その「以前の自分との”差”」に異なりを感じ、観え方が違く映った。
『違う・・、”余裕があるから”これを先に出来るんだ』
やりたい事を優先するという事は必然的にイヤな事は残る。終いに我慢できなくなって重い腰を上げる…、なんて事も散々やってきた。今だってある。それは小さな事だけど、”好きでない事”を「先にやっちゃおっ!」と行動に移す場面が増えていた。
今まで”言葉”で現わしていた事を、”動作”から直接に”観えた”ことだった。
(そういう事か…)
自分の思う(考える)範囲でやっている最中は、やはり「やろう」としている状態で、その「目的」に近づこうと目指している状態。
そうして”スキの優先”をしている間に、蓄えられたエネルギーによって「満たされた状態」から、今までの”優先順位”を少し変えたくらいでは「問題ない」位の状態を既に保持している。
だから。
場所によって答え(表現)は「逆」にもなる。
「逆」というのはこれに限らず、私の中で何度も自分に疑問してきた事なのだけども、今回は結構ハッキリと観えるケースでした。
この【重要】の中に、意味は詰めてあります。
今までに何度もしつこく書き続けている「自分が優先」という事がどこのピースになるのかを、この流れからみれば理解はできます。
”自分の現在地”が分からなければ、方角も見失う。
自分を観ていく事は、技術以前に大切で優先順位は高い。