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要、延長コード(笑)

主人と会話をしていて感じているのは、「やっぱり同じ」ということ。

主人はその自覚をしながら話しているわけではなく、ただ「そのこと」という体験を話している。

コトをやっている事は分かっている(自分による把握、自覚))。だけど別々のことという整理状態のため、「あー、全然分かってなかった…」と、何か別の話で会話をしているやり取りの中で、自分の中にあるそれとそれとを”結び付ける”事ができて、この事の理解が可能な状態になった。

それぞれという形で整理されていること同士を、自分の中で結びつける。私の経験上の話として書いてきた事でもあり、珍しくないのだけど、何も知らずともその体験を口にした主人という他者を現に見たので、”やっぱり”という思いになる。

主人は頭の中のことなど興味はなく、私はこの事を主人の前で口にした事もない。だけど「そういう事なんだ!」という認識はしていなくても、自分の中の別々にある事が結べるという体験は実際にあった。

・・・

 言葉(文章)の解釈というのは本当に人それぞれの理解の仕方があると、ただそれだけという事を感じた。それは文章の理解(能力)というより、もしかしたら、その事の”事実”との照らし合わせの有無(情報の多少)によるだけなんじゃないかと。

少し前、主人が何かを検索し、その内容を話してくれた。

その内容は私も知っていた事で、「内容」から直接読み取ったものに、”その様な事は書いてなかった”、という思いを抱いた。そして私はその周辺話もたまたま読んで少し把握していたために、主人に訊いた。

『そうだっけ?そんな風に書いてあったっけ?』

周辺話を少し加えて伝えると、主人はもう一度軽く読み直しをしているのか、「…そうかぁ…」と小さく言った。その後に何も言ってこなかったので、私には”内容(解釈)の訂正をした”とみえた。

主人が、内容の解釈を間違えたなどというのはどうでも良くて、私もその内容を調べ直したりしないし、大して憶えていないけども、文章というものは、書かれていないもの(部分)が多くあって、それを読む側は何か無意識に前提(思い込み)を持っていて、その事から読むために書かれていない事までも脳内で結んでしまう”現われ”があるかもしれない、と思った。


書かれているそのものを思い込みで解釈する場合もあるけども、書かれていないものでも、その”余白”を自分によって結ばれてしまうのが文章。そしてその文字だらけのそこからは、大して正確なことは掴めず、その他の周辺や、直視というもので補強されてやっと分かるに近づくのかな、と思った。

色々と結んでしまうのが人の頭。

真実で結ばれるより、自分の思いで結ばれている事の方が多いこの状態は、どこかまでは修正して整えたい域だけども、それを超えると思いの持ち方がパワーそのものになっていく。

・・・ ・・・ ・・・

メモからだけども、「”自分の中”で結びつけるーー」と書いているのだけど。

まず、”自分の中”での事は当たり前であること。その事を知っている状態にあるという事は、記憶し、ここというこの自分の脳内にモノがあるという事。

「言っている事」は十分に理解できる状態にあり、「それもやった事がある」という体験もある、という、それぞれが分かっているという事なのに、これ同士が結びつきを持っていないという事がある。

●少し色々な角度を混ぜて書いてしまうと、記憶している事は、全てが一度で整理されているわけではなく、「それぞれ」という別の括りによって脳内で整理されている、と感じた。

このそれぞれというのが、空間違いという様に想像するのだけど、それは脳にしてみれば、同じところで処理するものではないという感じがした。●

(先に書いてしまうと)この●●間の内容は、完全に”アタマの中”で作り出した部分なのだけど、逆に言うと、私の中に別場所から見ている目線があり、そこから「考え出している」様な状態だとやんわり感じている。

別場所の目線…、これは人の脳内でのモノコトの整理の仕方(括り方)というもので、はっきりと全てを言葉に変えて書くことはできないけども、何かの体験・経験をした事の処理の仕方=脳内での整理の仕方は、みなが同じではなくて、人によるものだろうというもの。

その事がコトの解釈に繋がるし、引き出す時の「どこから引っ張るか」という事のポイントでもあり…、そしてこの事が必要な状態があるという事自体が、「今までにない頭の使い方をしているのだろう」という様に感じたものだった。

今初めてそれぞれのカゴに入ったもの同士を結び付けて考える事ができる「線」が出来つつあるんじゃないか…と。

それ。
それ。

それとして終わり。
またそれとして終わり。

そうして短く終わっていたコトが、それ同士が繫げられる状態の、初めなのだろうと思った。少し、頭の中の”つなぎ”が多くなる。

(●●部分。実際に確信を持って書く表現でなく、ここでの”こうかな…”という状態で書いていたものは、とても気持ちの悪いものだった。別目線をそのままに書き出せばよかったのだけど、なぜか流れはそうだったので続けて書いていたのだが、表現が進まず―――。真実かどうかは別として、自分が本当に思えていない事はなかなか書き出すことができなかった(笑))


余談)

もう一週間前の話なんだけど―――

主人に聞けば大体「いつも夢は見てるよ…、憶えてないけど」と答えていて、その日の前日の晩「明日何か教えてね」と伝えておいた。

そう言うだけあって、私自身も朝に「あ~、おもしろかったな…」と感じた夢があった。

恐らく主人の部屋という設定なんだけど、私はただずっと主人が何をしようとしているのかを、周りをウロチョロして遊ぶワン達と一緒にそこに居て見ていた。

動きの途中では、その意味は何だ?という様な動きばかりで一向に分からずに漸く「分かった」のは、夢の終わりの頃の部分だけ。

少し高い所においてある、複数口の電源タップの配線(プラグ)を、何やら差し換えるようで。そしてそこにもう一人、こちらに背中を向けて立つ業者と言うのか”専門の方”という様な設定で、誰かが主人の作業を見守っている、という様なものだった。

起床してから私は、「何か、配線が変わるんだ」という風に捉え、主人には夢の内容はそのまま話して終わっていた。

記事で繋げる所がなくて、今まで頭の中に浮いてる状態だったから、ここで繋げておいた。因みに主人から聞いた夢の話はまったく憶えていない(^-^;


(メモ最後の「それを超えると思いの持ち方がパワーそのものになっていく。」部分は、別で展開させます)

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☆うみのみか☆
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