緑はいいね♡
よくね、「自分の中にあるものだから(外のソレに)反応する」という様な表現てあった。
私も昔そう感じて使っていた。
今これは、改めてその様に思った。
少し”詰まったから”、「そうだなぁ…」と頷けた。
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5/26メモ
隙間なく結ぶ、結び付ける(られる)。
それによって見せられる様々を、またこの目で確認して理解・把握する。くり返しで精査。
6/4メモ
「自分ごと」に捉えるよりも何よりも、”それ”と普通にみる「一致」として映る(移る)、という事だね。
「自覚できない」から”投影”という仕組みを使って捉える、というのではなく、それそのものが「自分と”一致するもの”」という認識を、脳が当たり前にする、という事だ。
ピースの”(自分という)個体”という表現を何となく思い出して、これと照合したように思う。
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少し前の記事内で外の現われを”投影”とはっきり現さず、「≒投影」という表現にしたことがある。
それは私の中で、今までのようにこの頭で考えるような所謂「投影」という見方とは”違う”という感覚があったから。
モノコトは、「過ぎた時」にしか表現できない。今までのように「外の事象(アレコレ)から内を観る」という意図的な観察の時は、その状態が精一杯で、それが”全て”と思っている。
”違う”と、どこか何かに「そう感じた」時、それまでの状態というものがやっと、「そういう状態(事)」だったと、知る・分かる。”分かれる”から。一体化している時では、自らを知る事も出来ないおもしろい存在、ニンゲン。
何か”対象”を見て、それを「自分」という様に、考える事なく判定できるというのは、「自分の内の存在しているもの」という認識がなければ起こらないこと。
事実かどうかの判定でなく、「自分の自覚がどの様か」という、強度・深度のような捉え方なので、”考えるアタマ”では、違う視点も同時に持っている。
書いた時は別の事に対してメモしているけども、この流れに繫げる事ができる…メモを。
6/3メモ
反射したコトに、”内容”を求めてしまうとスピードが落ちる、又は思考が優位に傾いて行くように思う。
スピードが魅力の反射、冷静さが武器の思考。
それぞれの優位はそのままにして、区間”外”は、その得意に任せる・頼るという連携、”共存”を感じている。
どちらも活かす。
↑これは確か、Twitterで”タコの映像”を見た日だったと思うのだけども、自分自身からの”情報”を、掴んだままにした。最後の「タコなんだ、すごーい!」みたいな感想だけでも良いのだけど、私の中からはそれに行きつくまでに、何度も”見誤り(勘違い)”をしている事をツイートした。
(因みに、その中で”ブルドッグ”と書いたけども、私は犬種に詳しくなく、恐らく”パグ”の脳内映像を見て、ブルドッグ”と書いている(笑))
その後の”流れ”を通して、その様に感じた事をメモした、という風になっている。
スピードはあるけど、間違いも含む”反射”。更に脳内の情報(記憶)自体も間違いの可能性もある。それを、時間を使って”考える”事で確かめていき、「結果」に辿り着く。
と、思考の上では書くけども、こんな事も状況によって自然と行われるものだろう、と私は思う所がある。火事の中、いつまでも風呂に入っている人はいないだろう?
その状況になると、その”行い”をするのが人。
「行い」を基準にして、速かったり遅めだったり、どの時点でスイッチが入るか、というのは”その人”の無自覚に引くラインと思う(笑)
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”自分事”という自覚のないものは「他人事」となる。
分けているつもりはなくても、自動的にその様な行い・判定をするのが私達。だから、”外側にあるソレ”に対して、通常は自分事とはならない。
それを間髪入れず”自分”とみる自分がいた時、自覚を通り越して”ソレ”というコトの一致そのもの、と感じ、言葉の認識から「それそのもの」に移っているとはこういう事だ、と感じた話でした。
6月6日~7月6日/超繁忙の”飛翔”のひと月。
個人的には、身体がエネルギー低めからのスタートになりますが、約4週間、目線は外へ向け、広げていく様にしていきます(*^^*)