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精神という理性

「技術」だけでは、本当にバランスが取れないんだよね。
「は?」と思うニュースを目にするたび、精神・心をベースにきちんと育っている事の大切さを痛感する。


昨朝、起床した主人の顔を見て思わず言った。

『なんか、あまり顔を見て話すこともなくなって、改めてこうして見ると、変な感じもするねぇ(^。^)』

「へ?普通ですけど??」

本当に不思議な感覚で、いつも一緒の家族が、20年以上も一緒に居る主人の顔が…、眺めていると不思議な気にさせた。毎日送り出しで顔は見ているのに・・・。

(この人と居るんだ…)

その時そう思ったかどうかは分からないけど、今ふと、そう湧いたからその様に書いてみた(笑)

・・・ ・・・ ・・・

自分には”力”がある。

というのは、権力的なものでなく、また何かを強引に遂げるようなものでもなく。寧ろそれは力みのない、やはり「自分への信頼の力」というように思う。

私たちの純粋なその力をジャマするのは、社会と関わる事によって自然と身に付けた”尺度”であって、本来それは「この自分」とは関係がない―――。だけど、無視することが出来ない…、自分の在り方によっては。

それだけ頭の理解と実動には差を持っているのが私たち人間の行動で、自分の中に捻じれを持つ。


自分の持つものと、外の世界のソレに大きな差を観た時、どこかいけない事のように感じたりもするけども。またそれを世界は間違いだ、失敗だというかもしれないけども。

綺麗ごとでなく、学びが進んだという事と私は思っている。

同じだから。

”データ”ができた事に変わらないので、それが正の方面から来ようと、負の側面からであろうと、自分の中で処理することに変わりはないから。

内容的には以前にも触れている様に、寧ろ「成功」からより、失敗から自分に届いた方が、幾つものことを同時に進行できる幅があることは間違いない。「眩しい光はしっかりと陰を持ち、またそれを見にくくする」から気づき難い。


(仮に)起きる出来事が”成功”といわれる賞賛されるものなら、その”良い”ということの中身は結構分解できる要素があって、それが”失敗”の顔をしてやってきた時は、その要素が既に「見えるカタチ」でやって来た、といえるかもしれない。

どの様でも、自分に届くフィードバックは”情報”としては同じこと。そして負の形で届く時、まともに受ける感情が負を引き出すので、受け取りは少し苦しくなるけども、その様にして内面は自然と鍛えられていくよね。

当然ながら、失敗を望む人はいないし、成功だけを求めたい。だけど、世の中「陰」のないものは存在しないのと同じ。行いから直接「何かを観ていく」ことが難しい時、行った”結果”から自分へ取り込むことで、様々な関連を観ることはできる。

そこから次の「行い」が、必要であれば変えて行くことが出来るという今までにない”行動の選択”を、自然な流れで採用していく事が可能になる…、そんな風に思う。

・・・

成功か失敗かも。
周囲が勝手に品評しているだけだから。

人の世界の中で生きているので、切っても切り離せないその空間に多くは居ることになるのだけども、そんな中であまりそれらを苦にしない人たちがいることも確かよね。

それは、”何か”をきちんと決めているから。

それによって起きること、受け取ることになるものを”受け容れる”という事を、必ず同時にしているからだね。もっと言えば、そこが決まっている人は、「苦にならない・しない」という態度になっているということ。


「本来は関係ない」

何か強固に持っている社会の尺度、それを”良し”とし、一体化してしまっている自分があることは、私達の在り方として珍しい事ではなく、その様に左右されてしまうのはある意味当然。

だから、なんだね。

自らが自分の動作(選択)を決める、ということが大切になるのは。そして、その様に一つ一つ決めて行っていく事で、自らが創った”自分”になる、ということ。

そういう人を見て、人は”力”を感じる。

少しずつ社会と切り離しながら自分側へ戻していった軸、迷って葛藤しながらも決めた選択。それでも通したい自分の拘り―――。

社会とくっついていた面をどの様にかでも切り離せば、そこに境「ライン」が示される。それが「個のカタチ」となるね。一時の心細さを感じながらも、それでも必ず誰かしらが観ているもの、その繰り返し。

表側で軽く流せる学びより、一度で幅広く学んで行くことの意味は深いから貴重。成功と失敗のそれぞれの体験は、全てが自分の肥やしになるね(*^^*)


『は?なんなの』

くだらないニュースを目にするたび、職業と人格は全くの別ものと思う。

この”感想”さえ、捉え方は色々。

私自身が「そういう職業に就いたら、しっかりしなさいよ!」と思うモノサシがあることを示し、また、「どんな立派な職業でも”人”である事に変わりはないんだよなぁ…」と思うことと。

頭では、職と人は別と理解しながらも、そこを一致させている。だからこのような感想を持つ。

「議員さんならしっかりなさいよ…」

多少の怒りも観えるその思いに、「偏見」てなんだろか、人の優劣の見え隠れ、隠しただけの綺麗ごと…。

自分の心の中にカンタンに見つけることが出来る。

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さぁ~、今日も潔くニンゲンしましょー!(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!