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また矢印、”向き”の話

昨日は久々に、夕寝を2時間くらいした。ほんと久々。

横になって間もなく眠いと感じた。

少し主人の様子を、「かなり内側から”観ている”」状態にあり、気を遣ったかも(笑)

主人を観ているようで、当然それに対するこの”私”はいつもあるのだから。


昨日の話から連なって視えていた事。
私には、そう視えた”矢印”の向き。

(メモから)
こちらから①の波、こちらから②の波。
③とくり返したら、どこにいる?

ココというこの場所に居るように思う。

ここが一番「新しい場所」。
”今ここ”とか言う簡単な言葉にただそこに居ようとしない。揺られて“そこ”にある自分が、今・ここ。

そこがいつも、自分の新しい場所。

・・・

「向き」を頭に感じるので、しばしば矢印で表すのだけども、昨日の話を(脳内に)少し流して視ていたから”流れ”という向きを感じている。「瞬間、瞬間」という”その時”だけでは分からない、ある程度流す、連ねてみるからその様に分かって(感じて)来るのだと思う。

そしてその向きを観ていると、そこから「その連続であるなら、結局”ココ”と言う現在は一番新しい場所だろう(?)」と感じた。

当たり前なんだけども、”今”はいつも最先端であって、その状態を多く感じるような状態があると(?)、自分の発した言葉に即座にツッコミが入るのを感じたりもする。それも①②の”感じ”でもある。


例えば、「やり直す」。

先日私はその言葉を書いたのだけども、「いつだって今から創る状態でしょう…」と自ら突っ込んでいる(笑)「そこ」という当時という過去にすら疑問が湧くような思い。自分の意識が今、「どこにあるか」という事も自分の表現(ヒョーゲン)から観る。

それはただ単に、表現を表す言葉が現在形か、とかいう話だけでなく、何気なく使う”その言葉”への抵抗のなさなどが、圧倒的な無意識である自分の状態を見せてくれる。

無意識から採用したその言葉をこの目に見て、自らに”違和感”を感じてしまう状態がボチボチある。そこから自分の内側にある”在り方”に触り、その「対」の波で打ち消す…それにより、「今」という場所に居させられて「今・ここ」という表現をしたかもしれない。

・・・ ・・・ ・・・

脳に描く”矢印”は続く。

短い主人との会話から、自分の状態、思考のパターンなどを観る。感動した。(主人は搔い摘んだ表面的なことだけを私に話し、私は”それ”に対して会話している状態です。詳しい事は調べていないこの会話の中のできごとの話)

・原付が50ccから125ccに排気量が変わる。
・今(まで)何ccだったか知ってる?
・じゃあ、軽自動車は何cc?・・・

色々主人に訊かれて、「わかんない」と答える私。
それぞれ話を聴いてると、「50cc…あ、知ってる」「660、知ってる…」と、自分の中に”記憶”はあることは分かった。だけど、改めて訊かれるとすぐに引き出せない情報だと分かった。

”それとこれ”という、ただの情報。私の中で殆ど触ることなどなかった記憶だった。


その原付の排気量が125ccになる。それは、「既存の125ccバイクのスピードが出ない様に改造する」という話を聞いた。

『あ、そうなの。50から125へ上げるのかと思った(笑)』
「そうか…、知らなければそう考えるのが”普通”かもしれないね(笑)」

私はその類の話を知らないから、「言葉」だけを頼りに、主人の話を理解し、そこから”変わる”と言ったその内容のことを「想像」していたのだけども、、。

それがまったく「言葉」の世界、その範囲だと実感して驚いた。

”何も知らない”と、その言葉(の物)から広げていく事をする。”その周辺”までを知っていれば、その他のモノからの移動は容易に可能、そう思った。

○○から△△へ。

それだけ、そこからだけでなく、その類と周辺から引っ張ってくる繋がりが、とても大切だと思った。

暗記しているだけのこと、その程度は、その言葉を起点にしか(その方向から)考えることしかできないのかと、興奮しながら話していた。

・・・

言葉の意味と流れ(方向)から、「その向き」でしか私には見えていなかったわけだけど、既にある”周辺”のモノ(コト)までもが視界に入っているだけで、その方向・矢印は、簡単に逆向きに出来ることをそこに見ていた。

前半の話など、「矢印」のことを書き、脳内に無意識に残るその矢印は、その後の全く関係ない話の中にも当たり前に漂ってくる。その残り香から、会話の内容が無関係でも「その様な捉え方(見え方)」に自然と繋がっていくように感じる。

実用されない”暗記”、知ってる程度の情報が、現実世界のあり様とまったく結びついていない事をこの頭に感じた。だから「言葉」の世界からしか広げられず、主人の話す内容通りの順序でしか脳内に展開できていなかった。それが50→125という上げるという向き。


現実にその周辺までを知っている主人は、”応用”を引き出せる訳で、”125の原付”を作るのに上げるのではなく、既存バイクのそれからスピードを出なくするという下げる方向の話を口にした。勿論、世の中にある情報を活用した可能性もあるけども。

数分の短い会話だったんだけど、私の中でとても興奮したものだった。

分からない事って、その言葉を”その通り”に拾っていってしまうと思った。それは注意して聴こうとする姿勢から来るものという事もあるけども、「ぜ~んぶを聞いてまとめて考える」という事が、この状態では難しいと感じた。


全部を一旦聞くというのは、適当な範囲のブロッキング、その放置(保留状態)そしてその状態全体からみる、”こういう風にすれば”を導き出せる状態がある。

言葉の範囲で考える広がりは、やはり狭いかもしれない。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!