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わたしと主人は”違う”

少し前にも書いたのだけど、”違う意識”の使い方をした日は、それが尾を引き、いつもの「その世界」に入ること自体が遠い。

”違う意識”を使うつもりなどこれっぽっちもなくても、その状況・環境にある時、人は意識の濃さというか、使い方・立ち上げ方がまったく違うことを感じている。

要は、「自分の中」に入る時間が取れていないため、その世界に浸ることが出来ない。他者のアタマの使い方は分からないけれど、私は「そう出来ない」という状態から、「脳の、その状態がある事によって、今私が感じられる”世界(空間)”に居ることになっている」と捉えている。


日曜は普段の動きと異なるため、その様な頭の使い方に自然となる。それは意識的に切り替えるというものでもない。「外」に意識を使うことになる、その割合が多いというもの。

買い物に出ている時間自体もものの数時間、帰宅していつもの様に過ごしていても、やはり使う意識の在り方が違うため、「自分の中に入り込んでいる時間」はない。”この事”がその夜に「その世界に入れない」となる。

”内側”で、アレコレとした事が後の諸々に繋がって湧いて出てくる”何か”、になっていると言えると思う。自分の中を潜らせないと、湧くものも湧かない。


例えば「メモしている事を広げて書いていこう」と内容を読んでも、”その雰囲気”にすぐに入り込めない、という様なこと。だからその世界が”遠い”という表現が出ている。自分の内側は、意外とすぐに入れる場所でなく、”その状態”がある事に左右されやすい、という印象も持つ。

逆に言えば、(脳が)その状態であれば、それは直ちにその空間だということ、そこに苦労感などはまったくない。

こういう事を感じているから、人は意外と”私”ではなく、この”機能”という存在そのものだよな…と感じるようになる・・・。

・・・

ここまでそんな印象のことをツラツラしたので、ここからはくだらない表面的な話を。

『あー、なんだこれ…、全然枝豆の味がしない(*´з`) ねぇ、騙されたと思って食べてみて。ほんとに騙されないから』

買い物で買ってきた枝豆風味の小さなセンベイを一つ、拒否するであろう主人に渡した。

「もーこれ、匂いがする(*_*; うわっ、枝豆!噛むほどに枝豆!!」

枝豆味の食べ物が好きな私、嫌いな主人。トウモロコシ味の食べ物が好きな私、大嫌いな主人。正反対ばかりで、これが本当によく考えると笑えてくる。

『えっ?匂い?これ柿ピーの匂いがするよ?噛むほど?まったく味が感じられなくて残念に思うくらいだけど…(;_;)』

「噛むと奥から出てくるよ~味が(ノωノ)」


主人のリアクションを見聞きしている方が楽しくなる。いやしかし、これで”味がする”とは、どういう事かな…?香りはただのおせんべい的なそれだし、何度噛んでも”奥から”なんて感じない。逆に表面のパウダー的な味付けに、それを少し吸い込むことが出来る・・・噛むほどにただのせんべいになる(笑)

「確かに味は薄いよ。オレ、嫌いだから”それを探しに行ってる”んだよね…、騙されたな(笑)」

『あ-、それすごく分かる。味を言われるとその味を見つけに行くからね(笑)でも、嫌いな味を探すって、考えてみるとおかしな話だよね。嫌いなのにわざわざ探すんだから( *´艸`)』

それを感じるには、”その味”が分からなくては始まらなくて。だからそれを探して感じる…マズイと。


「オレは毎日、”豆”食べてるけどね(笑)」

『そうねぇ、、?同じじゃなかったっけ?古い豆は好きだけど、若い豆は嫌いなんだ?そうだねぇ、オトナのばかりが好きなんだね。若い豆も食べな(笑)』

日々、私よりも大豆加工品を食べる主人。その主人と被らないような物をなぜか食べることが多い(好きな)私。よく考えてみると、本当に結構きれいに分かれている。

主人が日々食べるそれらは、私は本当に気が向かないと滅多に食べないという正反対な食生活をしている。

偏食の主人は、「食べられる物はみんな好き」とよく言っていて、”毎日食べて飽きないの?”という私からの問いの答えにもなっている。日々同じものの摂取という事が、あまり出来ない私にとっては”すごい事”として映っている。

・・・

昔から、互いが”まったくの正反対”と感じる所はあったと、分かっていたけども、若い頃というのは「同じ」ところを見つけては喜んでいたように思う。「・・・、一緒だね!」と。

互いが一緒の”何か”について共有できることは、やはり向きが同じで嬉しいと素直に感じることなのだろうと思う。

さまざまなことがきっかけとなり、結果的に主人/わたしという「それぞれ」という在り方で結構長い時を経て、そこから今度は「互いは違うのだ」ということを、よく目にしていっているように感じている。


多分それが若い頃であれば、”話が合わない”ことなどがストレスと感じ、嫌気も差したかもしれない。

「相手は”違う”ということ」

そう気づくのには、大層時間が要るんだな…と感じる。

「相手は自分」と無意識に、当然にその様に処理されていたこの自分から、”他者”が生まれるという事なのか、”自分”が生まれるという事なのか、表現はどちらか分からないけども、そういう事だろうと思う。

『―――、あー、そりゃ柿ピーの匂いするよ~、底にピーナツが入ってるもん(^-^)』

小袋の下にはピーナツがゴロゴロ入ってた。

私は、”現場から”匂いを拾ってた。

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☆うみのみか☆
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