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”私”が小さくなる状態を作る

世の中には、本当はちゃんと知っている人たちがたくさんいるんだけど。

理解したからこそ”その事”を言わなくなったという事になるから、そういう人達は目立って来ない。”言わない”のだから、通常の人の目線であれば、見つかるわけがない。

それはただ言わないだけでなく、もっと重要な「言えない」という所でもあって、その理由は言葉にできない部分がある事など他にもある。


ビジネスとしてやっている人にすれば、下手な発信ができないという事は分かりやすい。自らのビジネスを邪魔することになるものだし、誤解を生むような事は自らしない(できない)など、まず表の目につきやすい所からでは見つける事はできない。

そしてもうひとつ。

目につく「理解できるもの」というのは、やろうとして”やる”事ができるものであり、「伝えたい事とは違う」ことから言わない(言えない)というもの。

頭で理解できる(される)”部分”をやるのでなく、行いを通して少しずつでも理解されること「その部分」の話になるので、直接書くことができないという理由がある。

自らの行いを通していく中で掴めてくること、そこから学ぶこと。「言葉になる前」の部分を見続け、学び続けるという事だから終わらないし少しずつしか分かって来ない、時間もかかる。その最後にいくらか言葉にできるものが出るというだけで、言葉で示して伝えるものではなく、それをすると誤りが生まれるという事で殆どのことは見えてこない。

そんな世界がある事だけは知ることができる。


これは一つの「考え方」でしかないけども、私の中でそれが対応する時がある。

昨日のnote内容に絡むけども、「分からない」という状況がある時。今この場所から見て、何かがハッキリと分からないという時には、「その先」を敢えて知らない事として自分の中で処理(排除)するというもの。

”場所”の意味は、今という”現時点”という事と、この場からという文字通りの場所・位置のこと。「ここ」から見るに、「○○かもしれない」というような想定・想像などの類いはたとえ浮かんでいても”ないもの”として情報から除外する。

それは、例えば大方の結果は、”見えていた(想像がついた)”としても「今」だけに絞っている状態なので、先の結果を考えれば「そんな事も知らないの~」という言葉を聞かされるかもしれないのだけど。

それだとしても。

という事を考え方として用い、自分の目線が「相手(他者)の全てを見えているとは全く限らない」という環境的に少し不安定な状況がある時に採用している。


例えば国内の習慣であれば、自国の事としてある程度の”当たり前”として色々と判断することが出来るだろうけども、それが他者が”外の国”だとした時、それはこちらの感覚の”当たり前”が通用しない端からの条件の違いがあるため、普通ならば”想定が通る”という考え自体をないものとし、ゼロから考えるというもの。”今”現れているそのこと以外を、考えの範囲に広げずに、きちんと絞って見るというもの。

他所というものを知っている人はそもそもそれらを合わせて考えることが出来るのだけど、知らないものがそれに対応しなければならない時には、できるだけ”通常”とか”いつもは”とか、という当たり前にしている在り方を替えなければならない。

私たちがいつも無意識に何かを言動できるのは、それが利く(許される)範囲(環境)での話であって、ところ変わればこちらの”いつも通り”は通用しないという考え方があって良いのだと思っている。「外」を知らないからこそ”今”だけの部分で対応せざるを得ないというもの。


無意識なので自分の「環境」から物事を考え出してしまうのだけど、それは他者(他所)も同じことなので、意識的に”ゼロ”の場から捉えていくという事が必要になるのだと思っている。

本当に見事に、自分の持つ「当たり前」から始めてしまうのが人なのだけど、やっぱり全く違うと感じる存在があることは確かなので。そして同じように相手から見れば「こちらがまったく違う存在」となるわけなので(笑)

お互い様だし、「まぁ、そうだよなぁ…」と終いには笑えてくるーーー

『もう、ほんとにあなたみたいな人を見る私の気持ちにもなってよ(-_-)』

「そういう変わり者といるオレの立場も大変だよな~」

冗談交じりの会話だけども、我が家では互いに相手が一風変わった人物として接している所がある…お互いさまだ。全く違う存在同士なのだから「おたがいさま」なのだ(*^^*)

・・・

まず先に「知っている」「知っておく」という事ができれば良いのだろうけど、人はいつもそんな用意ができる時ばかりじゃないし、急なことの方が寧ろ多かったりする。

そういう突発に対応するには、こちらの姿勢の中に他者側に対しての余白が必要で、それが「今という所だけから見る」ということで。

悪い内容でなくても、相手側の想像すらやめる…

どちらにも傾けない状態で、その先のコトを受け取っていく(経過を消化していく)という事が必要だと思っている。

その時初めに「想像した通り」かもしれないのだけど、当たり外れは本当は関係なんかなくて(重要じゃない)、どちらかに傾けた思い込みを作らないという事が大切で。

相手への接し方の一つであり、同時に自分に余計な思い込みを作らせない方法でもあると思っている。

全部用意して知っている事など出来ないのだから。

“見える事”を現時点に限定することは、自分の思いの範囲を極力小さくしておく事になる。思い込みの範囲は極力小さくしておく事で、他者が見えやすくなると言えるかもしれないよね。

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)