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睡魔に揺らされるzzz
「なんだっけ(;´・ω・)」
探していた記憶が引き出せずにいた、のだけども、寝ぼけ眼でメモ帳をめくっていたら、それらしいものを見つける。
いや、多分もっと具体的な事象があったんだけど、少し前にも同様の事を簡単にメモしていた、という流れだったのかな…。
7/24メモ
ソコに住みつく思いがあるから、思考が変わらない。
思いの柔軟性。
たくさんの色んなモノを目にして感じる事で柔らかく解し、そこから繋がる思考まで緩めていきたい。
”記憶”が正しいとは全く限らない。
つい最近や、ここ数年の記憶が怪しいのに、幼き頃のソレは疑いもなく固定したままかもしれないのに。
そんな事が浮かび上がって―――。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
8/1メモ
”点”の結び方で、どんなカタチにするか。
”人生フィルム”は本当に切り取り。
点の結合。
だから正しい訳でも事実という事でもない。
その様に「思ってしまう」という事だけが真実。
点という目の前の”情報”。
それを殆ど埋めていく「思考」。
点を連続で吸い上げていない。
思考に入っている時のその目は、何も見ていない。
AとBとC、を私は見た。
それを繋げた既存の情報(記憶)を元に私はカタチを作り上げた。
何を見たかは既に忘れた。だけどその後に「違う、こういう事だ…」と、それを振り返った時の感想だけを憶えていた。
そこから広げるなら。
A・B・Cもそれぞれ”今”にありながら、引き出し元は「今」になんてない、全てマチマチの記憶。
その過去にあったであろう記憶(情報)の繋ぎ合わせ―――。
それらを、「今ここ」という所で結んで、それを視ている、アタマで。
自分の「中」を、外=現実世界で表している。
今まで散々流れ続けたこの手の言葉が、ストンと収まる所に収まるべき時にハマっていく。
少し思ったんだよね、これを書いていて。
その”べき時・所”は、自他という対外(体外)で観た時、自分のカラが固いと、こちらの内側に響いてこない。
自分を柔らかくするために、”特別な事をやって来た”という自覚は一切ない、けれど、散々『迷ってきた』という事だけは、確実に言える。
その経験から言うと、迷うという事は、”自分”の向け先が定まらない「あやふや」な状態。その状態でい続ける事は不快で苦しくもあるのだけど。
今、ここから振り返ると、その向け先がないという事は、”何か”に辿り着かず、何かにぶつからずに、優柔をキープした訳で、かえってそれがポイントに出来たように思う。
決められなかった(辿り着けなかった)という事は、こちら(内側)で固めずに済んだ、という事で、結果として柔らかさが残った、という風に仮定してみる。
一見、昔の”何でも素直に受け容れてしまう”と似ているけども、以前と違うのは、辿り着かない”結果”の前に、思考は入れているという事が明らかな違いかな、と思う。
その上で、結べなかった状態が、結果として「広範囲」に柔らかさは残った―――、そんな風に感じた。
今日は脳が、そんな状態だったから、これに導かれた可能性も大。
キッチリちゃきちゃき、アタマが働きてしまうと、この「あ~
そうかな~…」の、ぼんやり気味なものは、掴めない。
と、メモをしていて、「書いていて思う」というのは、やはり書くという動作によって、”思考”が立ってくる、という事で引っ張り出されてくる、と感じる。
ボヤ~っと感じた(視えた)ものをメモしているうちに勝手に、それらをまとめるようにアタマが働く。
(えぇ、今日はこれを書きながら、身体がグラングランするほどの睡魔で、思考など働いておりませぬ(笑)補足があれば別途少し触れます)
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