静観
見方がパッと変わる時がある。
「言葉」の中にいる時、その捉え方が全く違う時がある。
起きてくる事をただ眺めてみる。
「目の前の事をどうこうしようとしない」とは、こういう事だ・・・。
私がまだアタマで”全託”しようとしていた時、とても難しかった。今まで自分の意思でいつも動いてきたから。
ただ眺める…。「任せた」という意志すらそこに発生していない状態。
wait&see 、その世界へ引き込まれる。
・ただ眺めている状態
・そこに意味も五感もない世界
探そうとしたら入れなかった。
入ろうとしたら開かなかった。
目を瞑り、静かになってみる。
少しずつその世界は見えてきた。
扉なんてなかった。
ただ、静でないと気づけない。
全く境のない世界だった。
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私は言葉に導かれて今の自分がいるので、自分に必要な言葉は必ず私の氣が引っかかります。
音楽は全体として雰囲気で聞く事もあるけども、特に歌詞にやはり惹かれたりします。
宇多田ヒカルさんのwait&seeがとても好き。
今日はワン3ビキのトリミングデーで、残る2ヒキだと家は静かです(笑)曲を聴いていて、自然とその中に一瞬入りました。
「あ、この見方か…」とノートに記そうと移動して書こうとしたら、「その世界」はもう思い出せなくて。でも今、「ある」のは解ったから再チャレンジ。
その時の様子を冒頭に書きました。
自分から起こした「イメージ」でなく、一瞬にして見えたその世界って、入ろうとしても、入ろうとするほどに遠ざかる。ほんと「静か」という言葉では「煩い」と言えるほどの掴みにくい世界。
そこに行くには自分をその状態に合わせるしかなく、静かな環境を利用してやってみました。
「その時」が心地いいのではなく、自分に戻って「心地いい」と感じている事が分かります。
「言葉」。これもやはり神なのだと私は思っています。