自分にとっての意味が出てくる
7/9メモ
未来は創り出したものだから。
現在という「今の”一つ”」さえ、私たちは作る事は難しい。
それだけ”習慣”という過去、記憶を再生して生きている。
7/9メモ
目的はずっと前からしっかりあって、その到達へ向かって走っている事も変わらない。
何が変わるかといえば、道、その濃さ。
フォーカスの仕方が強烈になって行くその働きによって、どんどん行いに於いても、振り分けに手こずることなくやって行けるような(イメージ)。
目的に向かう道のみが明るく照らされるような。
決してそんな画は、脳内に視えていないけど、そんな雰囲気を掴む。
・・・
(二つ合わせて)
読み直してまず始めに思う事は、「”意思”じゃないよなぁ、やっぱり…」ということ。よく使う言葉で言えば「その状態がある」という話。
その状態があれば、”誰”に関わらずその様な働きによって”出力”はなされるということ。
私たちは、記憶を再生して生きている事が殆どの、今という場所にいながら、この”中身”に於いては、全く今を生きていない「ズレ」を生きている、そう思った。
そこから、「今の”一つ”」が生まれていく事は、簡単じゃないよなぁと思ってのメモだった。
”脳内に視えていない”とかいてあるけども、これを移しながらこの文字(内容)からはきちんと脳内に”イメージ”が映っていたので、メモした時と”同じ”状態になっていないのかもしれない(笑)
”理解しよう”とする時、その時点で”その状態にある”ものと、”理解しようとする側”という事に、位置が逆とまでは言わないまでも、そういう位置関係になってしまうやむを得ないものがあると感じる。
ニュアンスは細かく異なり、「理解するとなしに理解する(状態)」つまり、「”状態”そのものになる」という事で同じ側に行きたい訳だけども、これがやはり、自分の中になければ適わないものなので、できない事が悪いでもなんでもない。
本来、”分からない”ものは、分かり様がないというそれだけの事であって、世の中の出来事は全てに善悪、という良し悪しがあるのでなく”ただある”事象に、人間が、更に人それぞれが、右に左に選り分けて行く作業をしている、というだけ。
重ねるけれど、良し悪しはない。
人として生きるこの社会の中で、又は自分自身にとって「都合が悪い(又は良い)」というだけ…。
(話しが膨らみました、失礼)
メモ内容に戻ると、これは確か入浴時に”考えるとなしに浮かんできたコト”で、それを言葉で追いかけた、というものだった。
道の”濃さ”や、”明るく照らされる”という表現は、少し奥からイメージを持って来ると、「その他」というものが剥がれ落ち、ソレが浮き上がる様に強調されている、というような感じ。
数日前に「”順”は難しい」という事を書いたけども、その時も同様の視え方は出ていて、その理由は、”そのまま”を引っ張る”反対”の動き・働きをするものがある事によるもの。
葛藤の状態が分かりやすい例で、反対同士で引っ張り合ってしまう事は、望む方向への妨げになる要素が多くかかわる事になり、時間・エネルギー・などの減少になってしまう事だから。
”身に付けたものを削ぐ”という段階を経た事の意味は、私はこれと重ねていて、できるだけ”身軽”な状態で進むという事は頭に置かれているものでもあった、そんなに意識したものではないけれど。
歳が行くと頭が固くなるとか、若い人は柔軟性があるというのは、多くは本当にその通りの事で、歳が行くという事は、経験や思考を重ねている分、自らの気づきに上げて削ぐという”整理”をすること自体が、やはり楽ではないから。それだけ身に付き、強化されたパターンが多くあるという事も言えるので。
そういう事からも、固さは固さを呼ぶようになる事もあって、変えて行くこと自体が難しくなってくる。
経験はただそれを純粋に活かす時はもちろんプラスになるものの、状況によってはアレコレという迷いの種の元でもあって、複雑な分”選り分け”も容易でない事も多い。
そんな事の中から、どんどんシンプルに動きが取れるようになるには、進む力直接の強化か、”妨げの減少”によるスムーズしかない…、表側の世界での具体的な動作としては。
その”反対”の要素がなくなる(少なくなる)事によって、道が明らかに見えてくるという事を、そこで感じていた。
自分の中の”雑多”が消えれば、探さなくても見え、迷いよりも”やる”などの進む方向が明らかになるように感じる。
ただその様々な迷いも、反対や雑多も。
自分が考えるきっかけを作るだけではなく、大きくは、人生が暇にならない様にいつもしっかりと前へ導く役割もあるのではないかと思ったりもしている。