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今日は”コウシ”の日

やっぱり”連動”、あるよね…。

PCでワンのスリッカーブラシを探して注文した。何か所かのサイトを見た。後にスマホでアメーバを覗くと、挟まって来た広告は注文したスリッカー。リンクしてなけりゃおかしいでしょ、どう見てもコレ( *´艸`)

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”順序”で追って行こうと思っていたのだけど、逆にしよう。

先日の食べ物の話、”スコーン”から紐づいて辿っていくと、ずっと「ストーン」は続いていて、私の好きだったファッションブランドの「柄・ガラ」の事、そしていつも「自然崇拝」に繋がっていく。

これを深く追求した事はなく関心の程度だったもの。全く異なる原始の話でも、「重なり」に辿り着いている。

詳細に触れず(気が向いたら笑)、昨日ツラツラメモしていたものを書いていきます。

これはミックスです。書くまでもないのだけど、読む人の次元→”フィルター”によって、捉えるものです。(”次元”は一般的解釈として使っていません)

(大分あちこちとリンクしていたと思います)

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昔の”呪力”、言い伝えなどは、今のソレに通ずるものが沢山ある。”不思議”から”再現可能”になったものも大分あるのだろう。

情報が少ない昔だから、説明は粗く、捉え方が直感的で、だから「信じる」「信じない」の判断になる。


私たちの多くはきっと、出来る事なら魔法の様な不思議な力を使いたい、そうなりたい、と思っている。それはある意味、「このまま”人”ではそれが出来ないこと」と、いつしか分離させた事から。

その力を持っているのは、視えないモノ、と解釈してもいいと今なら思う。同時にその力を発揮させるのは、この肉体(見えるもの)と言ってもいい、と考えている。

結局表現に於いては、”どちらでも良い”と私は思っている。それを顕すのはいずれにせよ”状態”だから。どちらが正解・近道などというより、どこからでも探究はしていける。この肉体を持っていれば、ここに存在する事が出来るから。


見えない”モノ”のハタラキではあるけども、それらハタラキの結果を体感するものがなければ「無い」と同じ。事は起きていても、「実感する自分」がいなければ、”ないも同然”の事は、昨年潜った10日間で体験済み。

そこにいるのに掴めない状態だったから(心が振動しない)。どちらかじゃなく、どちらも大切。そんな事を思う。

両輪は左右同時に拡大するというよりも、左・・・右・・・また左・・・など、振れて少しずつバランスを取りながら大きくなる。大きくなる程、大きくなるから、「両方が同時に拡大しているようにも」感じる。

そんな風にも、表現が出来るのかな?と思う。

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↑↑↑これは”表面”、表から感じた事をまとめているもの。

朝食後、確認したい事(画)があって、本を取った。その説明が書かれている内容を読むと、探していたものじゃなく、1~2月前?に目にした同じ所を開いていた。

「ここ、よく見て!」と、同じ所に誘導された…、と思った。

「違う本を手にしている」という事にまだ気づいていなくて、近辺を軽く読むと、朝、意識した事の「元」が書かれていた。

朝のヌボータイムはしっかり目覚めていないので、ハッキリと覚えていないもの。言葉を見て、朝「天に思った事」を思い出している。


「左右対称」を探してパラパラめくって。本を間違え、今の状態を重ねるように確認、誘導されてきた。本は違えど、同じ「画」を使っているので、ある意味”正解”。

・・・周辺や両端が潜在意識にインプットされやすい現象を上手く利用した呪術なのである。人間は無意識のうちに、両側を気にするという感覚があるからだ。このように左右対称にすると潜在意識に入りやすい。 

これは秋山眞人さんの”シンクロニシティ”という本の一部抜粋。一応目は通してはいるものの、どうしても私は”逆”からでないと進めない。

これを「実行しよう」と思った事は殆どなく、自分の行動・実践がある程度積み上げられて、目にすると”そういう事だったのか”と、重なってくるものも出てくる、という事に過ぎない。

そしてこの”引用部分”は、シンクロの話の中で書かれているもの、だけど、昨日書いた、私の目の使い方は、”周辺や両端”という所に目的は違っても「活用されている」とも言えてしまう。


本をめくると大体近辺もペラペラとめくる訳だけども。

「ここでまた結ばれるのか…」

と、いう内容に出くわす。これが冒頭で書いた、”ファッションブランドの柄”、タテ・ヨコの格子、チェック柄。それが、”悪いシンクロの遮断”※という意味で登場していた。

そこで、ここ数日の点が「私側」で結ばれる。

(※私自身の現在の考え方は、”悪いシンクロ”というものは”ない”です。ただそう書かれていたという事で触れました。自身の状態によって”悪いシンクロ”と表現するものというのはあると思います)


「服装そのものが、もともとは呪術的なことから発達した」と書かれている。

自分の好み、というのは、どこか深い所からの”何となく”を感じて選んでいる事もあるのかな、と、やっぱり人には使える「力」がある、と思うと同時に、意図して使おうとする事は、簡単じゃないよね…と思った。

あ、いや。

通常使う「意図する」というものの出番が少なくなるから。意図せずきちんと”その通り”になっていくので、どんどん「やろうとする」は減っていく、という事です。

(私はやっぱり”氣”が好きだよ♡)


【シンクロニシティ・願望が実現する「偶然」のパワー/秋山眞人】

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☆うみのみか☆
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