青い地球
メ~テル~ またひとつ~ 星が消えるよ~~♬
昨晩いきなり口ずさんでいた。
「好きだったな…メーテル」
そんな懐かしい思いを思い出していた。
子供の時は外人さん(女性)が好きで憧れていて、中学生の頃はきれいな外人女優さん(?)のカレンダーを部屋に貼っていた(*^^*)
・・・この曲は”銀河鉄道999”のエンディングだったのだけど、主人は「何ソレ?」と、記憶にないらしい。
先日、オリンピックの閉会式の晩の事。
「全然視てる訳じゃないのに、”終わる”ってなると、なんか寂しい感じ(;_;)」
主人がそう言ってきた。
なるほど。。。
「漠然と『終わる』って事に、なんか感じるんだね?」
主人は例年行われていた”24時間テレビ”のエンディングを「視てないのに寂しい…」とよく言っていた。そして、買ってきた食べ物を、「食べたらなくなっちゃうじゃん」とよく言っていた事も同様。(私にとっては食べる為に買ってきたんでしょ?と思うような事)
だから、999のエンディングも知らなかったのね、マンガが大好きな人なのに。
「曲が静かな感じで、なんか寂しいじゃん…」
きっと、主人は極力感じたくない”感情”なんだろう・・・。
一方。それを”利用した?”子供もいた。そしてその”感じ”が嫌いじゃなかった、きっと。
当時のその事を”ホント?”という気持ちで聞かされたくらい憶えていない。私は両親が離婚した後、毎晩のように”泣いていた”らしいと、祖母から聞いてたよ、と昨年親戚から聞かされた。
寂しい感情が強くあったのは憶えているし、その感情を整理できたのは数年前の事で、長く持ち続けていた事も理解はしている。けども、そんな日々だった事は知らなかったので、”意外”だった。
学校の給食時、”昼の放送”で音楽が流れていたのだけど、それが寂しげな曲調で、何度か泣いた記憶がある。
周りに友達が寄ってきて、慰められ、時に先生も来てくれて”悪い気はしなかった”事だけは憶えている、詳細には判らないけれど。
どう言ったらいいんだろ。
聞いてるうちに寂しくなったのは事実、けど、ずっとじゃなかったと言いたい。「こうしたら寄ってくる」「心配してもらえる」という、幼いながらもしっかりとそういう事を知っていた、と書きたかった。
言葉にしたのは初めて。憶えていたのは「自席で座って泣いた、あの時の映像と気持ち」。
人に心配されて”心地いい”という欲求を満たすものだった、寂しさを埋めたかったのだろう、と解っている。
大人になると、そういうものが見えにくくなるよね。自覚なくやっている事も非常に多い。いや、殆どじゃないかな。自分では気づき難いから。だからまずは「(他)人から学ぶ」んだよね。こちらの在り方によって”相手”は変えるはずだから。それだけ人は”ちゃんと敏感”。
別角度から。
いつだったか、ワン達を散歩に連れて行ってあげたいのに、主人に目覚ましを止められてイラついた話をしたね。(↓これの終わりの方の話)
現在、雨続きで、既に3日散歩に行けない状態。今日も無理かもしれない。
雨降りだった初日、
「お休みをもらった、ありがたい」
そう思った。2日目。
「今日も休みだ・・・」
3日目にはさすがに連れて行ってあげたい、に変わってくるのだけど、2日目で痛感したよね。「いかに抵抗があるか」という事に。
「雨天」という事が理由になって「行けない事」を正当化出来ているんだよね。だから逆に言うと、晴天ならば「行かない」という事に”抵抗”が出ている、という事。かなり意思をきかせないと、「行かない」という事が出来ない。
「できるのにやらない」という事はとても難しいと思う。人に教えているつもりで実際には「自分の在り方次第」という事になるよね。
どちらに軸を置いているか(いくか)、という事。自分の関わり方で相手が決まってしまうよ。だからどれだけ影響を与えないか、という事も視野に入れて行ってもいいかもよね。
(相手の)傾きが大きい時は、気付いても気づかないふりをする必要もあるからね。
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久々のビリビリ大作戦(*^^*)
届いたカタログを喜んで破壊( *´艸`)そうです、後片付けは母の仕事です。