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思いや考えには注意(笑)
主人の診察の結果は、痛みやむくみのそれは術後の経過として「今はしょうがないだろう」という事だった。
そして運転も特に“問題ない”という事と、出されている薬も今飲んでいるもの以降は出さない(出さなくて大丈夫だろう)というような話だった。
これでやっと素人の“大丈夫”の中身が詰まる…、「じゃあ“大丈夫”なんだね」と納得した。何かをした結果に起きているその事が、経過として現れるものならば「普通」として動きも止めることなく行っていけるので安心もできる。
昨日は病院から帰宅した主人は、午後から一人で「歩行」に出かけた。通院を続けながら、12月の職場復帰を予定している主人。超繁忙期のこの月の復帰には猛反対だった私。
診察での先生の言葉もあり、本人の中でも「しっかりと動いていかないと」という自覚が強まっているようにこの日感じた。
「病気でもケガでも長く休んでいなくなればいいのに」
言葉のラリーの中には「!」と思うようなものも聞いた。
主人の会社の同僚には、自分よりはベテランで、要領が大変良く上手く使ってもらえることで(自分より)高給取りの人がいると言う。以前は普通に話す仲だったのにいつからか主人は強く非難するようになり、その人の話題には、主人のイヤな所をまともに見ていて私は真剣に聞かなかった。
会社の話になった時、この方の話も出て私は再び聞くことにもなったのだけど、“良かった”のは、「相手に対してそう思った事があったんだけど“自分が”そうなった」と笑いながら振り返っている事だった。
「引き寄せちゃった、そんな事思ってるから…(笑)だから良い気分でいることって大事なんだな…」
自分の思考が、今まで出来るだけ努力はしてきたけども、やっぱり時にムカつき相手に対してそう思ってしまうという事を口にした。そしてそのように主人は自分で「解釈」したのだからそれに関しては聞いているだけだった。
私が不快に思ったり、聞くのが嫌になるその時というのは別のところにあって、ひどくその状態に掛かってくると、同僚の彼を庇うわけでもなく、主人の悪口に釘を刺す。
『彼は確かにやり方がうまいのかもしれないし、よく使ってもらえるのかもしれないけど、だから彼が「上手い」事は確かなんでしょ?頭も良いんだよ。皆も同じように面白くなくて文句言ってるとか、そう出来ない自分(たち)に合わせるようにその人を降ろすように悪く言うのはダメだよ。その人が悪いんじゃなくて、使ってもらえるものがあるからでしょう?』
他者に対して”ズルい”という事を主人は昔からよく口にして、ウンウン聞いていると加速する人だからあまり聞かない、。自分が気に入らなければ「そこにいなければ良いんでしょう?」と、今までにも他のことでも何度か話している。
自分をこのままで何も変えず、工夫もせずに相手をどうこうしようとするその事に、はっきりとそういうのはダメだと伝えた。
主人が知らない昔に、理由は分からないけど取引先が大変な時に、その人は力になり、そこから優位な立場があるという経緯があり、その事の理解はしている。けども、感情的には”おもしろくない”ということなのだと、聞いていて感じた。
そんな思いから、主人の中で生まれたちょっとした悪い考え。
それは決して口に出して相手に言ったわけじゃなく、主人の頭の中で思い描いた事なのだけど…、それが”起きた”と自覚したという笑い話だった。
「あとは、よく犬が久しぶりに飼い主に会って、ものすごく喜ぶ動画ってあるでしょう?あれ、”こういう時にウチならどうなるのかな~”って思ってたんだよ。そしたらそのシーンは実際にあったけども…あの子たちはあまり大喜びではなかった(笑)」
主人は、自分がただ頭に描いたことが、「この現実に現れた」として自分を自覚した。この話を聞いている私は、”主人の中での結び付け”という距離を持って見てしまうけども、これが自分だったらと想像すると、やはり間違いなくその様に考えるだろう、と思う。
だから「思考には注意しよう」という自分を改めるという事の材料に使えたことは良かったと思うし、主人がいない間を埋めてくれた人へも、あまり良い感情を持たなかったのだけど、「迷惑かけたところの穴埋めをしてくれた人」として新しい目線が加わっている。
何か大きなことが起こると、それに関係して色々なことが動くので、その事により、自分の中に新しい目線が追加されるということは間違いがない。
「自分」が強すぎて、他者のことを悪く言うことが多い主人の性格がこれでガラッと変わるなどとは期待もしていないけども、痛い目に遭ったのは事実なので、少しは考えにも影響されるだろうと思う。
この事は、主人にさわりを書くことの了承を得て書いた。
あまり好かないとは言え、他者に対してそんな事を思うことに初めて聞いて驚きがあったのだけど、こういうもののもっとドロッとしたものが「怨念」とか言うのかしら。
それは、自分自身に返るかもしれないという事は、憶えておいた方が良さそうだ(笑)
追)
他者は結びつけないけども、当人はソレを結び付けて考える―――。
これは、当人の中には、”自分の”記憶としてその事を「思った・考えた」という事が頭の中にあるからで、それを見る他者は、その行為は他者の行為として客観しているので、結び付けて考えたりしない。そこの違いだろうと思って書いていた。
例えば自分が”当人”であれば、やはり結び付けて考えるだろうというのは、「そういえばこういう事を思った(考えた)な…」と、外に現れたできごとと、類似の記憶を引き出せる”自覚”のあるものだから当然でもある。
そしてこれが、本当にそうかどうかなどよりも、「その事」から生まれる気づきや、新しい目線の追加、切り替えなど、その事へ繋げていく事の方がとても大切なのだろうと私は思っている。
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