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どすこ~~い

”チームワーク”の話を書く予定で、昨朝、思いつくものをザっとメモ帳に記した。1ページ弱。

これを文章にしていくと…、とてもじゃないけど1度(約2,000文字にしている)ではまとまらない事がイメージ済み。

途中途中に脇道へ入って(詳細や補足)書いていると、読みづらいので、今回は”大枠”とそこから一部を記していきます。


「チームワーク」

①一個という「個(人)」に集中する事
②全体(チーム・組織)の中のどこに位置するかの把握
③”個⇆全体”を往来する目線

(ほか、箇条書き)
・「全体の目的」。これは外さない(こと)
・個人に集中し過ぎれば、ただの独りよがりになり、”調和”にはならない
・全体ばかり見ていても、個という自分の役割、できる事を明確に出来ず、全体の流れにいつも振り回されてしまう
・「自分を優先にする事」の大切さ、と意味

ーーそれぞれに個の力がMAX発揮されないと、全体のパフォーマンスも上がらない。掛け算でなく足し算で終わるーー

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↑とメモ書きしているのだけども。

例えば、”チームワーク”と言えば、恐らく初めに浮かぶのは「全体」の方なのではないかと思う。これは勝手に私がそう世間は考えるだろう、というものだけど。

確かに、その様な部分があったと思うし、私がやってきたスポーツでも、その様な事は意識されていたと思います。

だけどそれがね。
大人になって改めて考えるてみると、また、勤めをしていた時の事を思い出して見ても…、私はその様に周りをまとめようとした事はなかったよな、と振り返った。


それは今で言う、”多様性があるから”とかの考え方・在り方があるからという事ではなくて、「それで十分だ」という信頼を背景に持つ繋がり方。言葉はカッコ良すぎるけれど、そういう事。いつも仲良く・密着している事が条件では全くない、という事。

最後に添付している過去記事を書いている時、「別に仲が良い訳じゃなかったよな」という思いもしっかり思い出されていた。

「任務の遂行」、言葉にしたらこんな事。

各々が自分という「個」を務めてくれるから、他はまた”自分”に集中できる。そしてその姿勢は、全体を見るものからしてみれば、それぞれの「個」に対しての信頼だけで、それはまた”自分”に集中する事が出来る、という形が「チーム」になっている、という事。

他の事を考えなくてもよい状態、各々が自分に集中できる状態がハイパフォーマンス、と言う形を取れる。ムダを削ぎ落す事が出来るのは理想のカタチでもある。


①に集中する。

個の存在がそれぞれにパフォーマンスを上げる努力を、自ずと出来るから、「全体」へ波及する事になる。そもそも「”自ずと”できるレベルである」前提であると、無意識にでも”全体”が視界に入って来るレベルになっている、とも言える。

この、「個に集中」というのは、周りを見ずなりふり構わずとは異なり、その状態では、全体は見えていない盲目。同じ”集中”でも、この言葉の中身でさえ大きな”差”を含んでいる。


①から一先ず書き始めてきた訳だけども、この背景、「なぜそうするのか」という「全体の目的」がしっかりと共有されていなければ、この集中は、あちこちに向かって思うままに力だけ生む、という事になる為、必ず全体としての目的は意識に置かれているものでなければならないと思う。

大体が『全体の目的<個の目的』と表に現わす部分の比率が変化する為、バランスを大いに欠く。

ここで少し話を広げると。

そもそも「個」だけ、又は個周辺の小さな範囲のみを得意とした性質もあると思うので、こういうものは”絶対”ではない事は言うまでもなく。


逆から言うと、そういう事が得意でなければ、”チームワーク”と言うのは苦手だし、それこそ前述にある、一般的に考える”チームワーク”で捉え、狭い範囲を得意としている所からも分かる様に、その「考える範囲」は狭くなる事も見えてくる。

・・・

今回、①に触れているけども、まとめていく段階で再び組み込むので、切り取り的な「一部」という感覚で捉えて下さい。(次回に続く内容も、私の経験から観るものです)


又、これは別角度から触れている“チームワーク”。

ゴチャゴチャ考える事が苦手な方は、ザックリとイメージでどうぞ。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!