うん、これも納得…
(これは、昨日up予定でほぼ書き終えていたものを、今日にズラしたもので…(^-^;。丁度”タイミング的に”合ってしまう方がいますかね…)
ただ想いのまま、欲望でこなしてきた事を、立ち止まり、思考して進むかどうかを考える所に来る時がある。
その時は、
『このまま”欲望”が続くのか観れる時』。
いや、あの。
私の場合、もう既にこの時点で、こうして考えられるゾーンに入った時点でそれは「欲望」の域を外れてしまっている、と視える。
その上で、それを今後「どうするか」と、きちんと”冷静なアタマ”の状態で考えられる所に来た、と考えている。
物事の開始を、始めからしっかり思考して「一から冷静にスタート」を切っていく事が良さげに見えるかもしれないけれど、どちらもタイプなだけ。善し悪しの次元の話じゃない。
”個”の脳のハタラキ方が、どのように反応するかというようなもの。自分の持つタイプを元に物事が日常進み、そしてふと、普段やらない選択の所に辿り着く、
行ってみようか…(または)考えようか…
と、それぞれ反対のゾーンに入る。
(↑↑↑ アタマの中の動きとして書いているけども、”空間の移動(自分の居場所)”でも捉えられる)
大きな事じゃなくても、日々の日常でも、小さくこれらは起きている事。だから実は、意志の出る場面ってそう多くはなかったりしてね。
何でこれを書いたかというと、人はいとも簡単に習慣化していくイキモノだから。「行って行きっ放し」で終わりでなく止まり、考える…ことの反芻。
そして当然、今自分にその瞬間が来たからそのまま書いている。あまりきれいにまとめずにツラツラ書いてみると、、、(書こうと思っていた所に着地せず、どこでエスケープしてしまったのか、まぁ、いいや(笑))
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心(感情)の事がとても大切で、私自身もそれを第一に考えてきたし、そういうタイプだから、そのように生きてきた。
ここの所の深い自分との向き合いも書いたりしても、”クリア感”という晴れ晴れした気持ちがずっと継続している訳でもない。
もうこれは、今の自分のホルモン状態、土用(不安定時期)、どちらをとっても『安定しない変わり時』だから、決して決定づけるものじゃないのだけども、気分を追うと、そういう表現になる。
※私は、「心は脳のハタラキ」と解っていて敢えて、心という言葉を使い続けています。
私の今の「中の部分」の事を伝える表現は、以前に比べたら一般的にはちょっと暗めの、ネガティヴな言い方になる事も多いけど、これが身体的にホルモン、神経的にも”正常”であれば、「清々しい気分」と表現するであろうトコロ。
要は、人の内面(心理・深層・心・感情ニュアンス的に掴んで(笑))で行っている事は『同じ』で、表で現わす「結果という”表現”」は、異なっているだけ、という事。
理由は、やっている事=世で言うワークというものをどの時点でも、どの居場所でもただ行っているだけで、それが自分の心がどんな状態でもワークは全く同じだから。
もし少し「ズレる」、と感じるならば、そこは
「感じるべき所を、”思考(アタマ)”で対処してしまっている」
という事と言える。向き合いにおいては、「思考」が余計に自分を苦しめる。(上記の「ズレる」の表現は適切と思えないけど、言葉が出てこないのでそうしました)
なぜ、何でもない時はワークとして出来ていた事が、出来なくなるのかは、このケースで言えば、感じる(続ける)事が辛い状態、だから。できれば(辛いのは)感じたくない、逃げたい、見たくない。誰でもその印象を持って当然と思う。好き好んではやらない、私も。
ただ、そういう状態が目の前にあるから同じようにやっているだけ。それを観て感じている。見なくても済むならば、見ずに触れずにスルーしてしまえ…ドン詰まりまで。壁に当たれば腹も決まる。道がないのだから。
そしてそれはやっぱり、
「行く準備が出来ている時」だから、
その様に腹も決まる、という表現ができる。だから自ら挑むのも良し、その時まで自分を楽しむのも良し、といい加減な私なんかは思う(笑)
人として抗えない大きな人生という道(流れ)がある。
(結果として考えると)その時にしか出来ない経験を十分満喫するのが、どう考えても「最適」と感じる。背伸びしなくてもやがて大人になってしまうし、焦らなくてもしっかり老いていく。
老いて尚、喜びに出会う人たちがいる。その時々の自分が、内面を少しずつ調整しながら、生きてくれるので、自分を信じてあげてもいいのだと思う。
経験を重ね、少し利口になった自分から見て、「若かったなぁ…」の、その自分の経験がまた必ず、忘れた頃に今の自分を助ける、そう感じている。
左右の移動はさることながら、上下の表(現実・この世界)と潜りを繰り返し、飛べ。そうして空間は広がり、”電磁メカ”キラめく。
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追)
昨日は別の事で、ふた月前の日記の内容を探していた。この記事を途中まで書いていて、後半から「その時書き留めていた事とリンクする事をやっていた」と納得した。
”記録”がなければ、自分の頭で繋げたいように繋げただけ、になってしまう。そんな路線もありだけど、「自分はこんな風な歩み方をしている」と、自分を客観視するには記憶でなく記録が必要。
ノートでもSNSでも残ればいい。
ムリでなければ「これを見て楽しむ人もいるかも(*^^*)」と、オープンにしてもらえたら嬉しいです( *´艸`)
ヒトの世界はやはり、おもしろいし、刺激になるから。