安全だと学ばないね
5/1メモ
私達がいかに「”現実”から逃げたいか」がよく分かる。
この世界というのは、まともに居続けることが、とても厳しくて酷でもあって。
だから、人は幻に逃げたくなる。
遠くを見たい、幻想の中で生きられるなら楽しくて幸せ。ふと目を落とすと、ここにはソレはなかったりするから―――。
数日、現実という”ここ”の世界の話を書いてきたけども、ここという世界は、この身を置いている場所で、実践・動くという場所なので、表現の中身は重くなる。
それだけ私達は、いかに脳内に存在している時間が長いか…、という事が言えるのだけども。
現実は、消化して進むという前進のできる唯一の場所で、ここは脳内でイメージされた通りにスムーズにはいかない事が多い。
逆に言うと、スムーズにいかない=それだけ脳内では、”障壁”を掴めていない、というもの。
あれをやれば、付随するこれが出て、コレをやってる間にアレが発生したり…と、ちっとも脳内通りなんかでないのは、この世界を生きている証拠。
現実に居続けるというのは、かなりハードな事と私は思っていて、だから脳内であるとか、精神の世界でゆるめたり、ということも非常に大切だと思う。
であれば。
この現実世界でゆるめて楽しく生きられればそれはシアワセな事で、そう誰もが望むものの、それが思い通りだけではない事にもぶち当たるから、やはりこの世、なのだと思う(笑)
”今”というここにフォーカスする事がふさわしく、それが必要な状況はあって、逆に大きな遠い未来を”設定”する為に、現実から離れて”空間”に入る事も大切で。
そのどちらかはシチュエーションで相応しい方を選択すれば、パフォーマンスも当然よく、どちらか主義より、広く大きく活用できることで、世界は文字通り拡がるのだと思う。
・・・
言葉で説明するのって、ある意味簡単で、それはそのまま行動に繋がっているものなら逆に、こんなに言葉は出てこないだろう…、と思う。
そうでないから、促すかのような言葉が世の中には沢山出ているのだけども、分かっていても”できない”、”やりたくない”、などの行動に移せない事も多いから、また余計に言葉が溢れる。
何を隠そう、私だってそんな事は沢山ある訳で、だからこそ何かができた時に”喜び”となるのだと思う。
必要な状態になると動かざるを得ない、何か分からないけど状況から”動かされてしまう”、という事もかなりあるので、動く事は基本にしながらも、動けない自分は「まだ余裕がある」という事も味わってみるのも手かもしれない。
その結果、痛い目に合ったらしめたもの(*^^*)
次に活かす機会をもらっていた、という事の学習ができたという事だから。
5/1メモ
「みかは、どう思うか分からないけど・・・」
スマホでマンガを読んでいたであろう主人が、何かステキな格言のような(?)言葉を読み上げてくれた。
『うん、表現がステキだと思う。言ってる事は”同じ”だね(*^^*)』
ひっくり返したその言葉は、一般的にはよく耳にする様に”観えた”ので、再度、”表現は本当にステキと思う”と伝えた。
『人って通常に言われる、耳慣れた表現(→→→)を、逆に言われるとハッとするからね(←←←)』
脳内に視える通りに伝えた。
(その翌日)
その事を思い出して再びふと。
モノコトを、偏りで見ることしかできなかった。例えば、左・右というどちらかに傾けて把握する見方から、反対を意識的に取り入れる(見る)ことによって、その場(左or右)から反対も見て、観るように変化して、その経緯があって、中道に立つ。
そこに立つには、高さを持たなくては観えて来なくて、少しずつ高さを上げて行った先に”同じ”という感想が出てくる様に感じた。
表現は全く逆だから。
だけど”同じ”というこの「間」に詰まったモノ達が沢山あるのかもしれない。
私はまだ、”気づき”に上がったばかり。
・・・
これは、主人に返事した事から、私自身が過去にはそういう観方はしていなかったな…と感じた事をまとめていたもので、簡単に言うと、昔は「反対も見るように意識していた」けども、この時は「内容から”同じ”という風に捉えた(無意識)」というもの。
順方向に対し逆走したら目立つ、赤い魚の中に1ピキだけ黒い魚がいたら目立つ、という様に、習慣とは「逆」のアプローチは、人の印象に強く引っ掛かる。
だけどよく観ると流れがが違うだけ、色が違うだけ…、というそれを抜いたら「同じ」というものだった、という様な話。
それは意識してその様に選り分けているのでなくて、無意識側が行っている事で、私はその”反応”として主人に返答をしたという話でした(*^^*)
人は意識を意識的に使えるけども、無意識に行われてその結果を、この意識側が行う事もあって、どっちも持ちつ持たれつの関係という事は、誰もの頭の中で「同じ」仕組みと思う。