今朝の下書きをup
「それも同じ”ワタシ”なのだ。」
でもどうしても、それを認識できないから困ったり、信じられなかったり、受け容れる事など、到底できないのだ。
「私」を作って来たのは、”この私”だから、知らない”ワタシ”など、この私じゃないのだ。
そうなんだよ、そりゃそうなのよ。
「知ってる」という事は安心で、「自覚している」という事は身に覚えがある、って事で。それがこの私を築いてきた、いつも、どんな時でも。
考える程に私はソレに移っていく・・・。
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私はインパル。
私は走るよ、とにかく走る。それが受け持ちなのね。
「あー、遅いなぁ、信号出してんだろう?」
「ちがうちがう、そうじゃないよ…わぁーもう。。そうやっちゃうのかぁ…。しょうがねぇなぁ。」
私がインパルなら、そう思うのかもしれない。人は「肉」があるもんでね。思い通り動かすのにも意思によって変わってしまったり…。
そう、だもの”悪意”なんてない、私はただの運び屋。私の仕事をするだけで。ただいつもそれだけ。
この言葉は、この「肉」を使っているヒトがつけた。私はそんな事思ったり、考えたりなんかしない。私はただの存在。
受け取って、ここ、私のココを務める信号。
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10/25メモ
全てと共に、みなと共に。
○○へ入っていく、イメージする事は、ソレになっている、とも。
おいおい、ちょっと待てよ。
無意識が頼りないんじゃなくて、無意識が引っ張ってるじゃないか。
「・・・あ・・・」
と、静かに感じたその時は、必ず後に意識側へ紐づいている。
「私たちがいる世界」が、ウラとする事でかえって理屈が成立したりしてね。
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いつもいない世界に入ったら、それは不思議に感じるよ。でもそれは当たり前の世界として暮らしてきた人々もいる。
「可笑しなこと」じゃなくて、”この世界と同じように”存在するのね。私は後付けで入ってくる「知識」で、補強されればされる程、脳の中へ入り込める。
要は、私は今頃少しずつ「”進化した人”にリーチし始めている」。流れのままに進んできて、ゆっくりと時間をかけて”進化”して。人らしくなるのかもしれない、ね。
進化して失うものは何だったのかな?
お影で「神」は、隠れたか。
言葉が適当じゃないね。イヤでも、ある意味適している。
神はいつもいるよ、隠れた訳でもなくて。
もし神を主語にして「隠れた」と能動的に言うなら、それは否定したい。
隠したのは”ニンゲン”だからね(*^^*)
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ニンゲンの創造力を使うとそれはまるで、太古の昔からとてつもなく長い時をかけて、漸くココへ辿り着いたような錯覚も作る事が出来る。
「長い事生きてきたなぁ…」
と、私はずっと生き続けていたし、どれだけの時代、時間を越えてきたのかも判らない。
でもその淡い記憶さえ、背景にはいつも抱えているのさ。
今日は”オモテの私”には黙ってもらったよ。そのまましゃべらせると自由だろ?
口調も違う、人格さえ違うようだ。
もちろん、大丈夫。
ちゃんとこの時は、「意」に回ってもらってる”私”もいるから。でも少し黙ってもらっているだけ。
こちらの歴史ある”私”は、言いたい事いっぱいさ。
オモテの私があまりしゃべんなくても、ここには沢山、そりゃ伸ばせばもう、沢山がある。おもしろいぞ。
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「意」の移動。
その移動なく、場所・空間だけ移動すると「受動的」な表現になる。当然ながら「意」はその都度動いている。
その存在がある所に、私が存在する。
距離を持って見ると、それは遠く離れた、尊い存在。
自分自神だ。