見ている場所・方向

気温の上がった週末。
急激に上がった気温に身体がついて行っていない事が感じられた。

特に昨日は頭痛と多少のボンヤリ感と食欲のなさ…。
買い物から帰宅して昼食の後はすぐに横になり、約2時間ほどの爆睡ができた。

しかし暑かったねぇ…。
私にとって眠りは、本当に救いだ。


主人と会話していて、正反対の感覚がある(在り方の相違)ことは、何度も触れているのだけど、昨日は会話をしていて、「あー、そういう事なんだな」と、改めてその事象を実感していた。

それは以前に書いた、12345(→)と54321(←)という向き、進行の話を脳に見せられた。(今回の話で数字が絡んでいる訳ではない)

その時の内容は具体的に思い出さないけども、「向き」その方向の話で、その進め方(進み方)が互いに違うという事で、その記憶が引き出された。

その時は今回のように”分かった”様子もなく、ただ何かもっと漠然としていたと思うのだけども、昨日はそれが頭の中にしっかりと”映像”として想像され、”それによる違いなんだ”という事を、自分の中で結んでいた。


リズム、テンポ。人それぞれに持っている固有のそれはあると思うのだけど。それ自体が”その人”という事もできると思うのだけど。

これは、「思考の向き」というその進行の仕方というか、その向きによって、思考がの仕方(在り方)が分かるというか…、そんな事。その向きによって大まかな「スピード」自体が全く違うという事を、かなりハッキリと私の中では掴めた。


主人と会話をしていて噛み合わない時、全ての事象をその見方をした事はないので、あくまでも今回書いているコトに関しての事になる。

主人が何かに積極的になり、自分の行いを進めたい時、それはとても活発で、自分だけの中でそれが進行できる状態ならばそれは何の問題もないのだけども、私と絡む時というのは、当然、私の都合もあるわけで、主人の考えるペースと私の思う”それ”には、大変大きな差があって、主人の問いに回答できない事があった。

知らない事による”分からない”ならば、そのまま分からないというだけで問題もなく終わることができるのだけど、理由はそうでなく、「現在の所では”分からない”」という事が理由で、その事をこちらでは頭の中で描きながら、言葉にしている部分が少なく”回答が不足する”というものだった。時間をかけても何しても、未来の状況など読めないので「そんな事を今約束できない」というニュアンスの会話になった。


それを後に考えた時、主人は”自分”という存在から物事を見、考えて発しているため、その事だけを見ているのに対し、私はその時の比重が、完全に外側という環境、「状況」を念頭に置き、そこから考えている状態だったため、「私自身のあれこれを、正直現段階でハッキリという事ができない」という在り方だった。

この比較、両方が見えた時、自分から→向きに外に出てくる勢いと、外のその時の分からない環境から←向きに、こちら”自分”に入ってくる向きの待ちの状態という、その逆向きをそこに感じていた。

この勢いの違いは、自分からという真っ直ぐなそれは、環境という周りの状態の詳細など目に入らない強さとスピードがあって、また逆に外の世界という不確定の安定などしていない事を前提にしてそこから考える時に、現段階で未来の断言はできず、随分と大きな差が出ることを方向の違いの中に見ていた。


これは、人に特定の向きがあるという話でなく、その状況をその人が(現在)「どの向きで考えているか」というもので、そのコトによって、この向き、在り方・考え方は変わるもの。

何かそとの不確定要素が多分にある状態を知っているものに関しては、自分側からの向きの選択にはならない。知らないからこそできる”向き”があると思う。それが一部では「狂気の状態」であり、後に外の環境(状況)を知って、冷静に把握して汗が出る…みたいな事も極端な話としてはある。

外側が、いつも殆ど不確定でその状況の中でも知っている分かっている、”それは想像ができる”という事になると、→の向きだけとはならずに、どちらからも吟味が入るだろうと思う。だからその上で、”迷う”わけだから。

自分の意思がしっかりとある、という状態はとても勢いがあり、だからこそ同時に盲目にもなる。盲目であるから脇目もふらずスピードも出る。その経験を沢山していく中でのデキゴトから、逆の←も必然的に見えてくる事になり、両方向の動きを把握するように思う。

”人に特定の向きがあるものではない”としているものの、傾向としてどちらが強く出ているかという事は見える部分がある(時期によりそれが顕著になる)。自分からモノゴトを見る方向と、外という”現場”から自分側へ持って来る方向とは、全く逆の向きなので、テンポよく進めてしまいたい時は、逆向きがじれったくも感じる…。


それは私自身が経験済みのことで、そういう向きが盛んにあった人間なので、今逆向きを走る主人のそれも、「そういう事か」と理解ができる。

人に”進む向きがある”というのは、ザックリとは過去ー未来という方向ぐらいしか今までには考えた事もなかったように思うけども、こうして考えると、人の向きはあちこちに向かったり変更したり広くあるのだと思う。

それは、”意識の動き”というハタラキとして見ることが出来ると思う。


散歩中からパンティングの激しかったワン達。

日曜日は、病気ワンコはカートに乗ってみんなと”散歩”になるのだけど、歩く子たちも暑そうで、早めに帰宅~。

エアコンを入れて行ったので、部屋は過ごしやすく、「この春先に冷房を入れるとは…(*_*;」という驚きと、夜には涼しくなって今度は軽く暖房を入れた一日。

すごい季節だな、こりゃ(笑)

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☆うみのみか☆
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