静かな時に感じる
悔しさがあって強さが育ち
悲しみを感じて優しさに変わる。
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してもらった事に感謝するってカンタンで、私は後で気づいた小さな出来事に必ず”ありがとう”って言う。
台所に置いてある小さな時計。電池切れで止まっていたけども、私は殆ど見ないから、そのままにしていた。
大分経ってから、時間があっている事に気づく。
「あー、電池変えてくれたんだ・・・」
主人が自分で使うのに不便で入れただけかもしれないけれど、それに気づいたら言わなくちゃ氣が済まなくなってくる…と言って、「また言うの忘れた( ゚Д゚)」って、数日経過している。
一人静かにいる時に「感じる」事が多いよね、やっぱり。主人が帰宅すれば、その日の事や、色々な話が飛び交うから、引っ張り出してこないと、その話題にならない。
コミュニケーションって大切だけども、そこから離れている時間はそれはそれでとても大切。2~3回忘れるといい加減メモしておく私。
今朝はメモりましたよ(笑)
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それが。
「ある」ものになると途端に難しくなる。これは以前から感じていた事。
初めて「ある」と思った時はそれは感動だったはず、なんだけども段々それを足場のベースにして、その上を歩くようになる。足元は自分の目線よりかなり低いから見づらいわね。
かつてはそれが喜びだったのだけども。
私はそれを見つける事が得意な人じゃなくて、忘れやすい人だからこれが書けるのね。当たり前にして踏み固めてしまった所を、もっと普段から意識下に置いて生活している人が沢山いるものね、私にはそれはできなくて。
そのように生活する事が良いか悪いかは私には分からず、ただそういう人たちを「凄いな…」って思うだけ。
温かい心を持っているようで、何も感じないものは感じない、という、よく言えばフラット、ストレートに言って機械的な心も持っている。
私は大いなるモノ、万物に対して日々挨拶をするけれども、相手を理解しているからその行いをしているのではなくて、私の場合は、【何も分かっていないから、それでも生きる事を許してもらえているから】、感謝を述べているだけ。
たとえ私も神の分け御霊を持っていたとしても、「全知全能」だとは思えない、とてもとても(;´・ω・)
自己卑下でも謙遜でも何でもなく、私はこのカタチで堂々とこの世を生かしてもらうのです。
美しさ、清いことに導く神あり
その体験から得る”感情”を求め導く神あり
通常は到底できないアコギに導く神あり
人の役割って一つでしょうかね?
バランスがあるんでしょうね。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!