エネルギーの消費
(ざっくりと書いたもので、人へ繋げて観ている事は、もう少し考えを加えたいと思う、書きっぱなしのものです)
我が家のミルク(♀)の自主トレは今も続いている。
食事前の1日2回、ゴム製おもちゃの欠片(直径2センチほど)を咥え、わざわざ「何かある所」で、投げて(口から離す)は取ってをひたすら、ご飯で名前を呼ばれるまで続けている。
この日は台所に立った私を見て、”定位置”に行きトレーニングを始めたらしい。
(ママガヨウイチテル)
確かめたんだろうと思う。そしてひたすら投げては取る…私の準備中。
「なんでそっちに行ったんだろう…?」
『私が用意してるのか確認したんじゃない?』
主人がいない時の普段に、台所へ一旦来るのを多分見たことがない。いつも私がご飯の前に「さぁ~ご飯にしよっか」と言ってから台所へ行くので、ミルクは特にその「音」のことを分かっているから(ミルクの反応からそう分かる)だと思う。主人がいる時の私の動きは、無意識に”いつも”とは少し違うのかもしれない。
食べたい
食べることが大好きな、いつも腹ペコミルクは、その「欲」をうまく消化しているんだろうと私は思っている。また他の子が他のシーンで、一人遊びに熱が入るタイミングがあることも観ている。
その子はある条件の散歩前、激しい興奮の中で、最早おもちゃには見えないモジャモジャになった汚れたヒモおもちゃを、モシャモシャして遊ぶ。それも同じように見えて解釈している。
内側に強い”欲”があって。それが今、もうすぐ手に入る状態があって「」。その時すでに生まれている「強いエネルギー」を、生き物はどうすることも出来ずに、ただ処理する別の行いを自然にしている。
私は犬ではないから、外からその中を観たものだけども、その様にしか観えない―――。
”どうする事もできない”というのは、「自分」という存在は、そのエネルギーがあるという事を理解していない(できない)、だけど内側になにか”ある”ことだけを受け取ってしまうから、消化する動きを取る。ミルクは自主トレ、ライトはモジャ遊びで。
生じたエネルギーは、無意識でちゃんと消費する動作を行う。犬だものその事への自覚的選択などなく、動作へ直結。それが、きっかけは分からないけどもいつからか始まったミルクは自主トレで、ライトはそれだった。
・・・
ミルクはもう何年もそんな事を自分でやるのだけど。勿論教えていないし、いつの間に食事前の自分の動作になっている。
昔は単に”自主トレ”を見ていて「かわいい」なんて思っていたのだけど、主人が口にしたその事をきっかけに、話しているうちに「…そういう事だよな、きっと」と思うようになった。すると状況的にモジャ遊びをするライトのそれも同様と思った。
人にも同じ状態がある、それがこの事から大筋で結び付けたこと。そして人の場合は、「感情」という表現、感じたものに言葉を付けてしまうから、余計にこの内側に自然に生まれるエネルギーを直接拾うことは”難しい”のかな、と思った。「」は、人ならば「うれしい」という状態を現す部分と想像している。
人は言葉によって、その状態を説明し、理解する事はできる。だけどそれは、そのエネルギーの処理(消費)を済ませたわけではない。ここに人の、頭で理解してしまう(できてしまう)ことの難しさが隠れているだろうと思った。
ミルクを観ていて、当然に感じるのは、ミルク自身が何かを一つでも意識的にやっているとは”見えない”ということ。つまり、私は「頭」のことで考えてしまうけど、脳がその状態にスイッチが入るから”興奮し”、そしてその事(ご飯)が来るまで、他の子の様にジッとして待つことはできずに、「気を紛らわして「エネルギーをうまく流している」というように見える。
よく思い出してみると、ピースも食事前にピース専用のボロ布を猛烈に引きちぎる様な動作をする。どれも必ず「興奮」している状態がそこにある。
その”本人”も理解できないけども、ソレのある状態になる事によって自然とはかせる動作を行うこと自体が、自然なことであって、これが”直結”という事なんだと観えている。
人の場合、その自然な働きの幾つもを止め、抑えている状態があるので、そのずっと長いこと押し込め続けるエネルギーによっては、もしかしたら自身を壊してしまう場合もあるだろう事は、世の中に情報として多く出ている事と思う。
ただそのそこにあるエネルギーを、上手く活かす方法やタイミングなどの工夫ができるのが、やはり人なんだと思うのだけど、そもそもその事に自分が気づかなければ、タイミングも手段も工夫のしようがないだろうと思う。
私たちは、一応「人として」の在り方を教わり大人になってきているのだけど。頭に叩き込んで理解はしているものの、それ以前のこの肉体も含めて起きてくる”現実的なこと”との結びつきは教わっていないに等しい。
自分の中に行動を起こす元になる「力」があるのだという事と、それは動物的でなくやはり、昇華してエネルギーをうまく使うことで自分だけでなく周囲や世界とも重なりを持つことへ繋げることができるのが人なのだと思う。
ミルクの自主トレは、見ていて本当にかわいいものなんだけど、おべっかでも何でもなく、彼女のその時の”根性”たるや、私は脱帽している。
あぁ、因みにそういう時は既に、脳内がそこから離れられない”執着状態”になっているという事も加えておきます。ご飯で呼んでも、すぐに来ない事はしばしばあるので(笑)
それによって粘る事ができるので”執着”の全てが悪いわけではないのだけど、ハマると元のことが抜け落ちた本末転倒なんて事も中にはあるね。