過ぎて”解釈”を引っ張る
見え方、聞こえ方は、「自分のいる場所」によって変わる、と何度も触れているのだけども。
それは、”その瞬間” に同時に確認する事はできない。
けれど、追うように直ぐ、その違いに気づく。そしてこちら側(通常の私たちの意識側)で、「あ~、そうか…」というように気づく。
あちらに行きっぱなしでも、こちらだけでも”未知”には行けない。
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方向音痴、というのは父親譲りなのか私も苦手。だから運転手さんが欲しい、とよく思う(笑)運転自体は結構上手い、と思っているけども(*^_^*)
一昨日は約束の為、葬儀屋さんへ行くのに主人に場所を確認していた。初めての時は主人の運転、そして病院から葬儀屋というルートだったから、その時点で私の”アタマのルート”を変更しなければならなかった。
「(その時は病院から裏を通って葬儀屋さんに行ったけど)病院から葬儀屋さんて同じ通りでしょ?」
主人も台所で何かをしながらだったし、私が確認した「うん」という返事は幻だったのかもしれないし…(んなわけあるかい( `ー´)ノ)。そう思っていたから直ぐに到着すると思っていた。
1人で葬儀屋へ行くその前に、確認の為家からのルートを主人に話していた。
「オレだったら、あそこを曲がって行っちゃうけど…」
(え、、?それじゃ同じ通りじゃないじゃん?)
少しずつ、「違うのね?」が分かってくる。地図の話になると、かな~~り、主人は私に説明するのが大変らしい(笑)これを書いている私は今、その主人の”苦労”を想像して、ニヤケから笑いだしてしまっているけども。
運転(道)に関しては、完全にストリートビュー。この平面にしっかりへばりついているから、たまに上空から見るその地図はまるで繋がらない破線。
それを、主人の説明からイチイチ、脳内で場所を確認して(映像)、その道を走ると、ここへ行って…と”実走”するのだけども、全ての地図がアタマに入っている訳じゃないから、またポツンとしてみたり(笑)
で、漸く”現地”まで辿り着く始末。やっと主人は解放される。一昨日は
「もう、迷え!(-_-メ)」
と、主人に言われて2人で大笑い。
私はお昼を簡単に済ませるのに、主人のカップ麺をゆずってもらった。
葬儀屋さんだけでなく、ちょっと用を済ませたりの時間も考えながら、「道が確認できたから大丈夫だろう」と、安心しておいしく食べて出発する間際、
「『知ってる”道”に出たい』。だけど、知ってる道が少ないからムリヤリ繋げる。だから”繋がらない”・・・少ないんだから」
ここが急に入り方(聞こえ方)が違かった所。名言だな、と思った。
道路という「道」の話を主人はペロッとサラッと言っているだけなのだけど、私は”未知”としてほんの少しズラシて受け取っていた。
要約すると、私が未知への希望を持ちつつ、当然ながらまだ知らない未知というものの解釈に、ほんの少しの既知でムリヤリ繋げるから、「繋がらないでしょう?」と。
その未知に於いての既知は少ないのが当然で、知らないから未知なんだから。
と言った感じで受け取った。
話しているのは主人。いつもと変わりなく本人は私と会話をしているだけ。私が「わ~、名言だね(*^^*)」というと、「フツ~ですけど?」と返って来た。
メッセージ、サインというのは、何も特別な人が特別なカタチで受け取るものでもないし、そうでなければいけないモノ・コトではないと、私は思っています。
私たちはココに、自らの感覚を持ってそう感じる、その様に捉える、という状態がある。
その精度に於いてはバラバラだし、そう思えるまでには思い違いも感覚外れ、解釈のズレなどの紆余曲折も経験して、そういう事を通して、自ら修正しながら少しずつ自分の中に出来上がってくるのだろう、と感じます。
冷静に自分を観ていく時間は必要。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
食べてもいいけど、スーパー寄るなら代わりを買ってきてね・・・、だから、「迷わないで!(^-^;」。そういう落ちになった。
実際は難なく辿り着いたのだけども、”本筋”に入って「さぁ、見落とさない様に…」と探し始めたその場所がソコで、即座にウィンカーを出して右折で到着、という「こんなに直ぐの所にあったのか(。´・ω・)」という慌てた到着になった。
主人からは、
「見過ごさないようにね」
と言われていた。
「うん分かった!」
と充分理解し、注意して走っていたけども、無意識に自分の中の「しばらく走る=距離がある」という思考が働いていたな、と後で分かった。
人のアタマの中ってバラバラね。
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昨日は、対応する為の準備として、役場に問い合わせたり、施設の相談員さんから渡された書類などじっくりと見ていった。
「葬儀などが終わってからで大丈夫です」と言われて、これから必要な手続きも確認したので、それらの諸々から今日は、義父のお墓参りだけ、のんびり行ってくる。
相談員さんが用意してくれた年金関係の書類は、使う事なく終わるのだけども、意外にもこれが、じっくり見たお蔭で”引っ掛かった言葉”があって、企業年金へ連絡する事に。(スルーしようとしていた。不要と思って)
企業年金は自身でも(関係がなく)、そして関心自体が薄かった事があり、知識があまりなく、見落とす所だった。
書類の請求までを済ませ、昨日までにできる事は終わらせてスッキリした・・・、髪の毛も3分の1程度になって、スッキリさせた。