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ワン達も同様、”私と私以外”

(12/2日記)

ニコル、散歩帰宅から何かおかしい。

「不安」な状態が見てとれる。しょっちゅう座ってお尻をピッタリくっつけてくる。いきなりどうした?

鼻をヒクヒクさせたり(普段あまりしない)、少しずつ目(首)を動かして、何かを追う?ように小刻みな動き。

何がいるの?何かいる?感じる?

そうとしか思えない動作。

ゆっくり安心して良いんだよ。ここは安全な場所。ニコル、大丈夫なのよ。


(12/9日記)

バズ、、、

「あれから」バズはジャマを一度もしていない。あの場所で日向ぼっこさえしない。遊びの要求ももちろん一切なし。自分の気が満たされた、とも。

犬的に言えば―――。

執着がないから。”またあれをやって欲しい”という記憶が細く(浅く)、毎日それを「したい」がない。また忘れた頃にそれはやってくるのだろう。

対してニコル。

覚えが早く、元々は報酬の為にとにかく覚えが良い。利口。習慣にしてしまうのが非常に速い。だから毎日、もっと言うと、似たシチュエーションでボール遊びを要求する。私は乗らないけども。

ワンでも、何かの目的のために行っていて、その持ち方も個々に違う(差がある)から、全くバラバラな動きも多くて。タイプという大まかな枠にしようと思えば出来るけど、私が思うのは、

その時(その瞬間)は、同じアタマの働き方をしたから現れた=その動作になった、と言えるだろうと。ワン個体の違い、人との違い、共通などを観ていてほんの少し学ぶ。


(12/10日記)

ミルクの首。

昨晩また薄いカサブタ(になって)が、剥がれて毛と絡んでいるのを発見。

「えっ、なんで?」カサブタを取るため少し引っ張ると、毛がまとまって抜けた。?と思いもう一度軽く引っ張ると再び毛が取れて円形脱毛のようにハゲた。皮膚が少しいつもと違う感じ。褐色。ザラついた様子だった。

今日散歩前、再びカサブタを見つけて取る。「血?出てる様子ないんだけど…」と不思議に思っていた。傷じゃないから大丈夫だろう…と、いつもの首輪で散歩、帰宅してふと気づく。

「あーー、当たっていたのか…」と。

でも何で?ずっと使って来たのに…、と探ると、あの時サイズを緩めて、その方が良いと思ってそのまま使用していた、それが「悪かった」と推測。ジョイント部分(プラスチック)が当たっている。

緩めて逆に擦れてしまい、トリミング後で毛の切り立てから首輪に戻して10日経過。皮膚がこすれて少し肌に負担をかけ、その色が褐色だったのか…と理解。人ならばヒリヒリした状態だったんだろうと思う。

同じ素材の物をライトも使用しているけども、散歩の位置、身体サイズの違い、首の上げ加減など、影響は本当に個体差のあるものと、まざまざと見せられた。

また、ミルクに教わる。

ごめんね。ありがとう。明日からまたハーネスにしようね。

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ニコルの話は私の「在り方」に繫げる話なので別記事に。それ以外の2つに触れて。

まず、バズの事を日記に書きながら、「これを思ったから…(やるかも)」と、頭に浮かんでいた。案の定の翌日、ボール遊びの”進路”へバズ登場。「やっぱり」という思いと、別のボールでニコルの邪魔にならない場所で投げてあげる・・・遊ぶ。

こういう時にいつも思うのは、”思ったからなる”と同じように”逆現象はある”という事。言い換えると、逆になる頃(それが現れる頃)、何かタイミング的にとか、無意識側から勘付いていて、「あれから~~していない」と口に出させられる、という感じ。私は昔から何度もこの類を経験している。

「現実化」を思いのままに、というアレコレの方法が世の中にはある、という事も理解をしているけども、今私はその再現性に注力するより、「ホイ来た」から学ぶ方が楽しいと感じている。


ミルクの件は、もうホントに「”良かれ”なんて余計だな」と思った事。私が良く思うのは相手がワンだから、ある意味解りやすい(私にとっては)と思っていて、対人だと、人間としての”思い”というものがまた別に発生しやすいだろう、ということ。

悪気なんてない、本当に良かれの行動、目の前に現れた結果から汲み取ると、「余計な事をしなければよかった」という事になる。”結果”を見なければ、自分の頭で思考している事をやり続けるので、「いつもと違う何かが起きる」事は、相当ラッキーと私は思っている。でないと学習できないので。


ただ、その為に自分以外の”相手”が必要なケースが多くあって、事象が自分にとって嫌な事・迷惑等だと、当然嫌悪感が出るのだけども、自分の中でゆっくりでも理解していくと、今度はそれが相手に対して「感謝」に変わる。

私は頭のいい人間じゃないので、「結果」を知っている人の言葉を理解はしても”経過”もせずに落とし込まない。これは前日記事で書いた理由から。

もし、その間で失われる人間関係があるとするなら、それも承知で行っている事なので気にもならない無問題。その後にきちんと自分が「そうだった」と納得して改心できれば、その姿である事が「結果」の正しさをも裏付ける・・・ありがとう、と思える自分になる。

ワン達は口を開かず、習慣的に同じ動作を繰り返してくれるから解りやすい。そういう事を下地にして、人も考えている。


昨日の日記は色んな話題で、皆の楽しさや輝きがとても嬉しくて「ありがとう」が多い日だった。

とってもステキな一日だった~(*^_^*)

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☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)