にんげんの世界は自分でね
見れば観るほど異世界。
「自分の土俵」はやっぱり見極めた方が良いね。あまりに知らない世界に入り込み過ぎて「すご~い」の言葉も出なかった、芸術の世界。
自分の土俵から出るもんじゃないね。
(軸の話)
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どう書こうかな…。つらつら書きで。
私は世の中で「言われている事」を実際に試してきて、「そうじゃないよなぁ」という感想を持つことが多かったから、独自解釈や発想が一般的でないのだけども。
「既に手にした『ある』感」。
これは、イメージして作り上げた「ある」を感じる事と、湧き出る「ある」には大きな大きな差を感じています。
だから、偽の「ある」を感じるくらいなら、素直な気持ちに浸っている方が、自分が自分にウソをついていなくて心地よい、と言う解釈をしています。
違った言い方をすると、自分にウソを付けない人は、イメージの「ある」を思っても心地よさを感じない、どちらかと言うと「違和感」すら覚えてしまう。
潜在意識はまんまです。顕在側でイメージしても潜在側で抵抗(違和感)を受けます。だから変わらない、変えたくない。
バスケ少女でイメトレをずっとやってきて、イメージする事はどちらかと言えば得意だけども、その「イメージ」は、今ある状態を改善させる為の修正だったと言えます。
弧を描けていなかったシュートに山を持たせる為に、何度もイメージとイメージを補強させるジェスチャー、フォームを繰り返す…その結果、山を持たせたシュートができるようになる。結果を手にしています。
「ある」のイメージで、その状態(結果)を引っ張るのならば、「現時点でのある」に力を注ぐ方が抵抗は受けないと思います。実際にあるのだから。
「今」と「そこ」に差がある、と自分が認めてしまっている状態。
「今これがある」という、現時点で出来ている事を見つめる事と、イメージで作っている事と、中身は全然違います。イメージでその中へ抵抗なく入っていける人がそれをやればいい。
どちらも「もう既になっている」「手にしている」と言う表現から解釈できる事だけども、内容の見方はやはり大分違います。同じ事をしても、人の反応も同じとは全く限らない話、だからです。
外側(顕在側)からやんわりジワジワ~っと内側(潜在側)へ浸透させるやり方と、内側から感じるものを活かしたやり方と、人によって手段は変わると私は思っています。
そして、「今とソコに差がある」と、”自分”が言っているから、「『ある』を手にしようとしている」という思考。
これを【ゼロ(地点)】に。ゼロで留まるには、現時点での「ある状態」に力を注いだ方が、抵抗はないという事。
そして。
どうしても「結果というものが欲しい」という事に拘るのならば、そこは「視えないモノ」の路線ではなく、「ニンゲン界」のものなので、努力して手に入れる、という部分だという事も加えておきます(*^^*)