見出し画像

”表”に現すと長くなる

さあ、どうやって書いていこう…。

その1の話、その2の話、とメモしていた事を書いて、最後に背景(潜在意識)でまとめていた”存在”があった事を書いて繋げたいと思います。

更に関連を最後のオマケにしたので少し長いです。長くなるのは、「目の前の事が1時間の事だったとしても、視えない所でのものはこれだけあるよ、と表に持ってきたから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その1 【同じ事が出来る】という事はない。

先月から主人と、「自分の氏名&捺印」を丁寧に行う事をノートへ、毎日の日課にしている。

「同じ字なんて、どれ一つないね…」

と、主人。私も前日にそう思っていたので同感だった。

今でこそしないけれど、昔は字、数字などを上手く、カッコよく書きたくて、メモ帳にひたすら練習した。丁寧に書いたつもりでも、同じように書けない。。。で、ふと。

「自分の意思で身体・感覚を使う事がいかに難しいか、という事だよね?」

主人に言うと、

「次はここを注意しよう、と思っても出来てない(;´・ω・)」

と言った。それは私も解る。毎度姿勢を正しても、集中しているつもりでも、とにかく上手く書けない氏名。字を書く事は自分の精神状態が大いに影響する事も解っている。私にはいくつになっても難しい事。

意思で”実行している”状態から、”身体が記憶している”状態に持っていくまでには、相応の練習が必要という事だね。それが「型」というモノでもある。


その2 【その一漕ぎ】

「その一漕ぎ」での現象の変化※が大きくなるから、そうでない人から見ると、「フシギ!」と、映るのかもしれない。

今日は”こっち”の目線なのか…(笑)

日々自分の居る所はクルクル変わる。そしてこれが昨日の昼寝時の事を「ラインメモ」していたこの事から、”紐づいている”とすぐに思った。

人は丁度いい事が「心地良い事」と知っている。だから、ソコを目指していくんだ。
ボチボチ動き出したワン達に意識を引かれながら、あっちこっちを行ったり来たり。揺られて揺られてこれもまたフラクタル。

目覚めに近い状態(こっち)と、意識が遠い状態(あっち)とを、往来している様子を起きて書き留めていた。

(現象の変化…見えてこない”点”はたくさん並んでいるものの、それを知らない人からは”大きな点”しか見えていない…。だから、コマゴマの連続の上に結果したものなのに、すっ飛んで着地したように見える事、をそのように表現しました)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

意識に上げている認識のない”潜在的意識”目線を絡めて書いてみます。「的」としているのは、起き掛けの時は自然に上がっていた状態だったけど、脳の覚醒と共にそれは潜って行ってしまったものだから。

今朝の”ヌボータイム”のメモ。(ヌボータイム→一応は目覚めているけども、ベッドの上で暫くボーっとした時間を過ごしている時の事)


こちらでの経験・出来事を元に下へ潜り、それが”フォーカス”という意識した事を基に、情報・出来事を引っ張ってくる。
だからも表でする経験は大事。潜って持ってくるモノの基になるから。そっくりそのままひっくり返して考えても良いのだけど、そして持ってくるモノが何でも希望通りでなくてもヨシ、という姿勢なら、これまた世界が広くおもしろい。
”意識”しないと、琴線を探せないし、「意識」があるからこれを理解している。
「意識に置いた事」が潜へ影響している事がとてもよく分かる。夢やトランス内容が明らかに違うから。

こちらとあちらの世界の話をしているので、とてつもなく理解しずらいのだけど、それを「しっかりとした意識状態」で言葉(表現)に変えていくと、こちら世界での解釈がしやすくなる。


繋げられるのはこの「認識できるアタマ」だけ。現実世界がいかに大切かがよく分かる。

過去には何度も書いているけども、私は子供の頃、統合失調症の叔父とも同居していました。そういう症状を目の前に見て、その病気にも関心が出たし、怖れたりもした。


叔父のその状態から分かったというより、自分の頭の中を観察するように見ていくと、あちらで感じた事(起きた事)を、しっかりと、こちらの世界に移して(映して)、紐づけをしていく事がとてもとても重要に思います。


上記のように、朝のヌボータイムで書き留めている内容は、意識がこちらにしっかりある時、”覚醒状態”の時には、理解が不能と言わざるを得ないからです。書いている私自身がそう思うのだから。

その分離した状態を極力抵抗せずに、でもしっかりと「こちらに繋ぐ」という事が「統合」した状態、となるのだろうと、今日は思いました。(昔の”精神分裂”という名も、想像がしやすい)


これを”中抜き言葉”で表現するなら「グラウンディング」でも良いと思います。私の解釈するソレは、地に足付けて、と一般的な状態で捉えるほかに、「現実に落とし込む」と加えても良いのかな?と感じます。

とにかく、とにかく重要な事です。


どちらが先でも良い。ニンゲンとして使いやすいのはこちらにある「意識」だから、そこから”吸収”したものが後に何らかの形で潜って再びこちらに影響するならば、こちらを出来るだけ整えたいね。

「意識した」という事は、必ずそれ関連を引っ張ってくる。それが意識上理解が難しくてもね。

そしてその”フィードバック”とも言えるものを観て、気づいてまた投げて…自分の中での循環。更にそれはこうして「外」に向けて投げる事によって、また大きな循環へと繋がっていく。



今朝記事に書いた「自分の密度」という表現。これを意識に上げたから、これも引っ張って来た。

過去に触れた事があるのだけども、私の周りには家族・他人含め、「みつ」という名が付く人がとても多い。

”みつ”が多いって・・・

濃くなっていく事を示してくれていたんだね。人生は沢山の材料を持たされてきているんだね(*^^*)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(サイゴノオマケ)

「ニンゲンをしに来た」と、私がよく表現するのは私にとって「正しい」かもしれない。

実際に人の機能として使いこなしている人などいなくて、だから何度もチャレンジしに来て…。

今世は20%まで、今世は45%まで来た・・・80、97・・・100%が来るのかどうかは判らないけれど、そんな事を考えると、収まりが良い。

以前に書いた、我が家の次男坊&貴公子のライトくん。

ワンとして身体を使いこなせていない、動きのぎこちなさ、ちょっと何考えてるか解かんなくて、飛ぶもの(鳥、飛行機)が大好きな子。

この子は視界が広く、散歩中でも上空を見る事が出来る。

そう。

今やっている「生き物」を、チャレンジしに来たんだよね、きっと(*^^*)

いいなと思ったら応援しよう!

☆うみのみか☆
応援チップありがとうございます。自然と学べる記事の提供で倍返しいたします!コメント頂ければ内容を盛り込んで記事として出力いたします。 共に学んで参りましょ~(*^^*)