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何を目的としているか

自分の「意志」がある…、とは言え。

自覚できる”自分側”が、「フィードバック」を受けてそれらをコショコショと考え選択、また出力―――とくり返すのだけども。

これがさ、よく書くように”脳の状態”というのは、いつもが同じじゃないので、それに対しての工夫や対処、”見破り”などをこなしていくというのが、この太々しい私でもキツイと感じる事はある。

それというのは例えば、一日の脳内の変動という事でなくて、長い期間をずっとかけてきての「今の状態」という意味で書いているのだけども、それが今年は半年を過ぎたころから強い、と言えるかもしれない。(個人的な話)


そこへ重ねて、主人の内側の変化を感じながら、私と切り離せることはしっかり切り離しつつ、私の内側の整理も重なっている事は”自分事”として片付けつつ、チョビチョビとやっていて。

因みに今日のこの内容は、書こうとしていたものではない別のもの。メモはしているけども、それを文章に組み立てる頭が、書いている時点ではなくて、余計なものは出してしまって空きを作ること、大した労力なく書いてしまえるモノで出力してしまうことを目的として書き出した。


この流れで「モノゴトの進め方」について軽く書いていきます。

何か幾つかのコトをこなす時、どのやり方が正しいとか言うことでなく、どの順序で取りかかるか、というのはあると思うのだけども。

”正しい”がない、というのは、個人の気の持ち方が作用したり、タスクの重要度があったり、かかる必要な時間であったりと、一つに絞ることはできないバラバラの条件(状況)を私たちは抱える事が多いから。


その中で今回、「この流れで」とした通り、前置きしたことが私の抱える状況としてある、という所から始まっている。

「毎日必ず書く」という事は私の必須事項。それが中心・優先順位が高くあり、現在の(身体)状態が「中間痛」あたりなのか、酷い睡魔とそれに伴う頭の状態とがあるので、「書こう」と口にした内容でアタマを使うことを避け、軽く考えることの出来るもので自分の必須事項をクリアする、ということで決定されている。


少し設定を変えたシチュエーションでの話を書いてみます。

優先する必須事項は変わらずに、体調はいつもと同じく良好状態。だけど、「書くこと」が、時間のかかる出力①とそこまで労力のかからない②とがある。同じ時間までにこなさなければならない…としたらどんな選択をするか…?

自分でこなす場合、一度にひとつの事しか出来ないのだから、①②どちらかを先に行わなければならない訳だけども、私の場合、②を先に片付けることが恐らく多いと思う。

「集中できる状態」を脳内に作るため、”空き”を作りたいのと、先に一つのタスクを終わらせたことによる「達成感」を自分に与え(栄養・報酬)、ソコへ向かいたい。①を初めに行うことの自分の”消耗度合い”が不確かだから、とも思われる。

その様なイメージがある。


やらなければならない事・優先順位の高いと思われることが必ずしも「先に実行」という事ではなく、”良いパフォーマンス”の発揮できる自分自身の環境を整える、という事は常に同時に選択されているのだと思う。

この行動(動作選択)を言葉にしたのは初めてと思うのだけども、そういう事を人は無意識に決めて物事に取りかかっていると思うし、またそれは、やはり自分の”ススメ方”によるものなので、この逆の選択がスッキリ心地いいという人もいる訳で。

だから、”具体的なコト”の提案というのは、それを試してみることは良いと思うのだけども、それが本当に「自分に合っているか」という事の確かめは必要だと思っている。


そして、こういう細かいことを書いたことで思い出した事を書くと…。

一昨日少し触れた、「あまり細かいことを書かない※」選択をしている理由の大きなポイントでもあるのだけども。

「学んでいく」というスタンスの時、その姿勢が前提にあるというだけで、憶えることから始まっていく。所謂「知識が必要になっていく」というもの。

あれの意味はこういう事。
これは○○だから□□。
えっと、これはどんな意味なんだ…?

学ぶという事は次々と吸収しなければならない事「言葉」が出てきて、確かに「分からない事は調べる」というのは基本なのだけども、知識の吸収が目的ではないので、そこに多くの時間を使うことが私はイヤだった。


そういう大雑把な感覚の持ち主が考えると、当然具体的なことよりは、大まかなものが多くなり、必要なことを都度、足していけばよいということからその出力は行われている。

もちろん私に丸暗記できるアタマがここに乗っていたならば、そのまま憶えてしまったのだろうけど、神は私にそれを与えなかったため、今あるこの頭でその様に活用してきた、という事になる。

・・・

『容器に大きなモノから入れていって。小さなモノを先に入れると、大きなモノが後から入らなくなるでしょ?』

仕事をしていた時は、その様に例えて伝えてきた。

『大きなモノ「要点」を押さえていれば、完璧にはならなくても、殆どがこなせる。細かいことは後からでも間に合うし隙間に入って行くから』


物事は具体的な方がとても分かりやすく、そうでないと”分からない”という人も勿論いる。知識をとにかく入れる”学習”が目的ならば、しっかり具体的なことを知った方が良い。

私は、「実行すること」がいつも前提になっているので、細かいことをアレコレ考えるより、「要所を捉えたら行け」という風に考えている所がある。自分の中にどちらもあれば素晴らしく、なくてもそれを補う「相手」がいればまたそれで良くて。

自分の中に全てを用意しなくても、大きな世界を見れば済むことと思っている。

どうしたって、一人でなんて生きて行けないのだから(*^^*)


※を書いていてふと気になり一昨日の記事を確認。

(10/24脳内環境/バランス より)

やっぱり…
私はこの時「他者が読む時の受け取り方(目線)」の話を書いているのだけども。この前からの流れでは「私目線のまま」になるね。今回の話の中で「実行する事が前提」と書いている通り、実行者の目線のつもりだった。

言語にする時「主語の維持」というのは難しいんだ(*_*; それだけ勝手に意識と言葉は離れてしまうという事なんだね。

(因みに。書いていて途中から頭はクリアになっていきました(*^^)v)


「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!