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”ちょっと寝坊した朝”

朝晩、大分寒さも感じるようになってきたので・・・

ちょっとしたあったかグッズを探しに行った。

裏起毛のパンツ(イントネーション注意!)と、風呂上り用のソックスやタオルなどを購入。かわゆいスヌーピーソックスが手に入った(*^^*)

札などを取ったり余計な毛羽立ちなどを処理していると―――

ジーっと感じる目線、ピースが手元にロックオン。

どうやらおもちゃと勘違いしているらしい。または「ママだけずっと遊んでズルい!」と思ったかどうかは知らんけど…。

あげねーよ!


あぁ、1000円のおもちゃを買ったと思ってピースにあげたらいいかーー

あげねーよ?


寒い冬、これで乗り切って行くんだから…まだあげないよーだヽ(^。^)ノ

(ママはイジワルなんだピー)


さて、これはどこから書いて行こうか…。

ラジオでは、「もうすぐ以前の様に少し静かな”アタマ”になれる時間がやってくる」と言っているように、今の私は、”その時間”からしばらく離れていたのでそれを求めたい私がいて。その様な状態から今までにない”音”に対して少しストレスを持っていた、という様な状態だった。

過去に書いた通り、「日曜の買い物の日は記事が書きにくい」と言っていたその頭が、毎日続いている状態にあったという事なのだけども。この状態では、頭の中の”静かな私”と会うことはできない事が多いのだ。

そんな状態からの、寝坊した昨朝のできごと―――

”意識がはっきり”している前のーー
その場所に居ないと「感じる」ことができないと思った。ちょっと寝坊した朝。

寒かったのか、朝まで殆ど布団の中に頭の上まで入りっ放しだった。そうするとまず”外”の音が聞こえない…多分、地震で一度意識が戻った。

⦅こんなに何も聞こえないもんなんだ…⦆

まだまだ眠くて目覚ましもならないので、そんな事を弱く思っていた…また眠る。目覚ましが小さく鳴り出す、ここからは5分おきに起こされるのだけど―――、やっぱり”世界が”遠かった。

⦅あれ、もう降りたのかな…⦆

主人が家にいる間はずっと、私より少し先に下へ降りて、ワン達の朝の片付けを大体やってくれていた。その足音なのか、遠くに少し聞こえる音があった。

カーテンで薄暗い部屋よりさらに暗い…、目覚ましが時折小さく鳴ってくる。布団の中は非常に暖かくて気持ち良く…、それ以外の刺激は殆どなかった。

⦅さぁ、そろそろ起きよう⦆

寒いけど…
布団から顔を出した時の、鼻から入る空気の冷たさを感じた、”外”が明るかった、下で音が聞こえるーー、あぁ、刺激だ…。今日の世界へ飛び出す前の、そんな洞窟の世界が布団の中だった。

布団の上でいつものルーティン、窓を開けていつものヌボータイム。そしていつものストレッチ。寝ぼけたアタマのままで活動は始まる。下へ降りて朝のルーティンを終えてリビングへ入る。主人がやらない部分の片付けから始まる。トイレシートの下へ回ったオシッコでびちゃびちゃのそこを見て少し「不機嫌な」気持ちになりながら片付けていく。

一段落すると、”さっき”までの事がポツポツと見事に整理されて浮かび上がり、朝からメモしていった。それを元にここまで書いている。

つい前日まで、大分遠ざかっていた「それ」という状態が、すぐさまこの朝にやってきたわけだ。少しの寝坊によって、私の今までに当たり前にあった「その状態」の中に入ることが出来ている事に気づいた。


表に意識が常にある状態では、まず感じられないと思った。久しぶりの静かな”場所”と感じていた。

この状態だと確かに外は”刺激だらけ”になる。そしてこの場所でないと、「私」はこの”感じ”の話をする事ができない―――静かに感じる事ができないから。

”~したい”という思い、心が生まれる。

この内側にある(居る)時、私は「外」の刺激をうるさく感じている。音が、何かが大きい強いという事とはあまり関係なく、「私がここに居る時」外に接するその状況そのものが”うるさい”対象となっている…そう思った。

「朝のアタマはすぐに起きていない」

この事は、そういう事だったんだと思った。その表現よく使っていた時の”自覚”は、”そういう事だった”と分かっていない、「機能的にはそういう事でしょ」という考えから言っていたと、今は思う。今の”感じ”は感覚からそういう事を拾い、「言葉は後に」ついている…、過去の表現とは一致しているけども、という大きな違いがある。


同様に、「不機嫌な」気持ちになる事も、「そこにある(そこに居ること)」から来る様に感じた。

なるほど、そういう事か。

居場所「外」と、「私」が合っていないんだ。

私が、「間に合っていない(対応できない状態)」にあって、外には”外”にある(充てる)私の意識状態じゃないと、どうやら「間に合わない」らしい。

以前よりものすごく明らかにその事を掴めたのは、間違いなくそこから離れた時間があったからだと思った。その状態から離れたことによって逆に、どういう事かを知ることが出来た―――、主人にまた感謝しなければならない(笑)

・・・

ほぼメモから書いたのだけども、鮮明に感じたのは、そこに居ることにより拾っている「この感覚」、状態のことで、途中に書いたように、理解していることから引き出したそれではなく、感じている状態から拾っている事が、とてもハッキリしていたものだった。

ここしばらくの間は、朝も何だかんだでしっかりと感覚から感じたものを拾う「私」とは会っていなかった状態だったので、余計に分かりやすかったのだと思った。

そしてこれは合っているかは分からないけども、自覚的には「不機嫌な気持ち」になる事も、この意識の状態が絡んでいる、とはっきりと思えた。この感覚を掴めるところに居る私でないと、不機嫌になる事すらできないだろうと、予想がついた。


この事は、私の中ではかなりクリアに感じ取ったことで、また恐らくそこからの目線が少し始まると思う。

(書きながら「これも」と思ったことの幾つかは、この内容の補足とあわせて別に書いて行きます)

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☆うみのみか☆
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