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家族との擦り合わせ

何かの事を成していく時に必ずベースになっている「気持ち」。

やる気というのは、状態があればそんな事を考える事もなくコトに移っているもの。

そのやる気・気力がない状態は、そこを「やる気にさせるようにする」のではなく、身体にその状態を作り(整えて)自然な”発生”にするというのが、私の考え方です。

気力が薄い(小さい)、感情が湧かないなど、単に一時的なことは誰でも起こり、見過ごしても良いケースが多いものの、「感情をなくす」という事は、注意したい事と私は思っています。

感情をなくした経験がないと、それがどういう事か想像もつかないかもしれないけども、”自覚なくその状態”というのは、周りの方が気をつけて観たい状態だと思います。

”淡々とやる”こと。

これはコトは何でも、自覚のある・なしによって、同じ”淡々と”でも全く意味が変わってきます。

意図せずやっているのは、「機械的になってしまっただけ」という事もあるので、中身(中見)はとても大切だと思います。

・・・ ・・・ ・・・

↑↑↑この下書きから「そんな主人の話」、書いて行きます。


主人の、「感情への気づき」は、一般的に思われるそれよりも大きな事であることを、私は理解している。

昔、「感情は必要でしょう?」という私の在り方と、「感情なんていらない」という主人は完全に対峙していた。言い合いになる事はないものの、互いの主張はしっかりとそびえ立ち、その後に触れることもなかった。

過去にそんな経緯があっての主人のそれは、主人の中に今までと違う思い、在り方が出ているからであって、それが古い自分と幾らかチャンバラもしているのだろうと思う。

・頑張るって何?
・感情はいらない
・何もしないで光合成だけで生きていたい…

きっと、”頑張ろう”なんてしちゃいそうになる自分が受け止められない、認められない、意味が分からないから。感情はいらないと思うも、その感情が希薄であることの負の側面を少し感じてしまった…。


何が、どこからともなく、主人の状態が変わっていく事を、私は観えるものの、本人というのは初めはまだ”分からない”。モヤモヤしたり、気持ちが引っ張り合ったりして葛藤してしまう。

こういう時に表側からどうこうしようとすると余計にキツくなるから、何か分からないけど、いつの間に…くらいが良いよね。

まぁ、とにかく。
そこから脱出できたら良いと思う。


9/16のそんなメモ。
主人のある言葉は私に火を入れ、翌日に吹っ飛ぶ。

ー・-・-・-

「・・・とは言え。今の世の中、”金”じゃん。物ばっかりどんどん上がってどうしようもない―――。」

”始まった”。
そう思った。

『私、そう思わないから。最近ネガティヴなこと、多いね(?)』

相手は主人だから、私は思った事をストレートに言うし、完全にネガティヴにしか目が向かないその状態の時、ただ、「私は違うよ」と、堂々と言うだけ。

そこで主人は”止まる”のだけど、こちらは相手の口を止めることが気持ちが良いのではなく、そのネガティヴな空気をこの空間に流されるのがイヤだから。

我が家という場所においては当然のことであるけども、外での対応とはまた異なる(笑)


主人のひねくれの入った、筋金入りのタチの悪いそんなモノに汚染されない為の防御は、”私側”がすること。人は何らかの理由で思い通りにならない事に腹を立て、一時的に拗ねてしまう事だってある。それを当たり前にしてはいけないと私は思っている。

そして主人がその様に今思っていること、そういう状態がある事は理解はしも、私がそれに同意することとは全く別であること。

ネガティヴな脳のクセ・習慣は、今までその傾向を強く持っていたのだから簡単には変わらない。そして全てのそれが悪いわけでもない。そういう事を理解した上で、私は自分も防御しながら、”あなたとは違う”ということを主人に示している。

と9/17にメモ。

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「ネガティヴ」という軽い言葉のイメージの範囲で括りたくない程の、強烈なそれはあり、私は他者からそういう事で”汚染”された経験はないけども、昔の知人は、念仏のように言われ続けた挙句にメンタルを持っていかれた。当時はそれを耳にした時、”そんな事があるのか?”と思って他人事として聞いていた。

相手に威力があるかどうかは関係なく、そのちょっと質(たち)の悪いネガティヴはこちらも氣を張る。人は、そういう次から次へとソレを引き出し続けるような”状態”が現れてしまう事もある、と理解している。

他人ということであれば、距離で保てるものの、パートナーに対しては、「こちら側の」思いも大いに入り込むから、主人を観ているようで、自分も観察しつつ、ぶつける所は思い切りぶつけてやり互いの研磨(笑)。勿論、病的な状態であればそんな事はしない。


何かを言い訳にしたい、ちょっと疲れた、クソッ、おもしろくない…。

主人の内側に、私には口にしない事が色々あると思うけども、それと「自分が快適でないこと」とは別の話。

『さっきのさぁ、言ってる事はもちろん分かるよ。物は随分高くなったし、何だか、”なにやってんだよ”って事は多いもんね。だけど、Yさん、世の中がそうある事と、自分が”どうあるか”は別だってこと、知ってるじゃん?私はそれが言いたいし、そんな世の中の条件に呑まれたくないんだよね…』

言葉がぶつかっても、互いに尾を引く事はないので、その後の買い物の時にはそんな会話をしていた。


帰宅したその後には、どこか互いが触れずに”他人任せ”にしていた事をそれぞれが口にし、「なるほど、今そんな状態ね…」と確認をした。

何度かの”擦り合わせ”で、互いの状況が少し見えてくる。

家族は絡みが深い分、余計にきちんと対話を重ねる必要もあるだろう…、そんな風に思う。

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☆うみのみか☆
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