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人の想像(創造)する力

【あー、そうなんだね。こういうケースも夢にはあるから…

夢の中でカウントダウンしてた、10.9.8.7.…と。(いや、1.2.3.4.…の逆だったかもしれない)

で、目をあけるとちょうど、目覚ましがなり始めた。こればかりは本当に不思議に思った…一瞬。だけどすぐに「眠りに入っていて“目覚ましの音”という認識ができなかったんだ」と思い直した。

ソレというものに結びつかない、けど掴んでいる「音」。それの回数は、“なんとなく”リズムとして掴んで(捉えて)いる。だからカウントアップかダウンか定かでない。

「意味・把握」との認識が出来ていないと、それが外れた“ストーリー”に自ずとなるという事だ。

夢は支離滅裂、めちゃくちゃと言うけども、繋がれない線があるだけで、それでも成り立つ(解釈はできる)ソレがあるという事だ。】


夕寝する前にlineメモしておいたもの。その日の朝、起きがけのできごとを思い出し、それに対しての感想をツラツラしておいた。

そして夕寝…。
その後起きてから、私的にはとてもスッキリした思いと頭で、”これ”といって具体的なことが脳内にあると言う訳でもなく、それでもただしっかりと”ある”ことに手応えがある安心感のような思いがあり。その感覚のままにメモしていったのが以下。

その冒頭2行は、lineメモを受けての内容が反映した”夢”をみたその感想になっている。それは覚醒時の解釈とあまり差がなく、だから”眺めていられた”。

【夢というより、頭の中の整理を眺めている状態だったと思う。キレイな言葉(秩序として)だったから、その解釈をずっと見ていた。

条件(?)、「特定」に入るまでの情報が少ない”状態”で見ている脳内を”夢”というか…。

掴んでいたであろう音。状況は恐らくたったそれだけ、この夢に関わったのは。それがそこから、「音」から人は、映像やストーリーを作りだしてしまう。ここからは、そうとしか考えられない。


そしてその前提で続けていくと…。

人はよほど、事実以外の部分を膨らませた空間を持ち、殆どその部分で生きている、という事になる。そしてこの説明も(は)、脳の中のハタラキを「そう言える」事として書いている。あの朝の脳の状態を想像した所から視えるものを書いている。

何枚も重ねて成立する”映像”というこの世界が、重ねないスライドによって淡い”特定”となり、完全に別の世界を見せられる。定まりは極力少ない音だけ、その等間隔のリズム。だからアップかダウンか分からない(憶えていない)のは当然。リズムしか捉えていないから。

という事は、↑(→)も、↓(←)も、なかった、ただ刻まれたリズム。その「元」に、この頭の中で色々を付け足していく”自分”。それが今こうして書くに至るまでのプロセスともなっている。

ここの”部分”が、人という存在なんだ。

意味を削ぎ、言葉(意味)を極力省いたら、括れる大きなものは”ある”というものだけ。

そして重ねていくスライドの一枚一枚が、人の行いで、それはその人によって重ねられているもの…という事かな。】


朝のこの時、夢を見たことで(一応”夢”として続けて書いていく)、一瞬はすごく不思議に感じた、目を開けるとあまりにもピッタリなタイミングで同時に音が鳴りだした事に、解釈が入って捉え直していた。

私には「音」として聞こえていなかった、既に鳴っている目覚ましの音を、”カウントしている状態”だけがその中にあった。結ばれていないから意味が分からない、リズムは掴んでいるものの目覚まし音としての認識が出来ていない状態、だけど”カウントする”という動作はシンプルなものなのか、どちらの向きかは分からないけど、それは出来ていた。

たったそれだけの出来事だったのだけど、だからこそ普段のハタラキが、いかに複雑な組み合わせで行われているか、という事を思った。そしてだから同時に、殆どが、「人の頭の中でつくられたもの、その世界」で出来ている世界(世の中)なのだと感じた。


音が鳴っている事実。いや、寝ていたわけだからそれすら推測しているのだけども、でも間違いなくそうだった、という所から考えた方が正解に近く。いかに想像(創造)されてしまうかという事に驚きを感じた。

そしてその重なってくる”情報”は、重ね具合もその種類も個々によるマチマチになることが予測され、そのバラつきを「個人」というのだろうし、その具体部分でなく、この働き部分、この動きを「人であること」という風に言えるのだろうと感じた事だった。

寝ている状態と覚醒時の自分の”差”を、こういった風に観たことはなかったので新鮮だった。

夢があまりにもシンプルな”音”しか登場していないものだったから、考えやすかったのかもしれない。ストーリーになってしまえば、覚醒時の頭でソレを観れば、必ず複雑な解釈へ寄ってしまう。


もちろん、「この部分が休んでいればこうなる」という理屈は、珍しい類じゃない事は分かるものの、事象からその理屈に近づくことが私の喜びであり、最大の関心事であるので、とても幸せであーる。

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☆うみのみか☆
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