それぞれに向き合う
11/25メモ
観察する、それは日々大人しい、静かが多い。これが比較。
”心地いい”という基準から”こうしていられる幸せ”にゆるやかにシフト。
何と言うのか、これらをやろうと表では散々行って来たのかと振り返る。
生まれ変わったら、生まれ変わった時、「何かを知っている」という既知感なんてないはずだ。
そう思っている”記憶だった”と解った。
11/28メモ
静かな時なら、認める事も、感情に振り回される事もない。そんなエネルギーすら強く湧かない。それだけ「抵抗」は少ないと知る。
それが自分の中から動き出すエネルギーを感じる、前へ進んでいけるという多少活力のある状態では、内面からのエネルギーがある状態でクリアに見始めた状態、更に無常を追う…。感情を長く持たないという事は”鍛錬”のくり返し。
頭で考え理解し、出来ると思っている事と、実際現場でそれを実践する事の、自分の中での闘い。
・・・そこから、今、目の前の事を・・・(と切り替える)
ジャガイモ切ってる
玉ねぎ切ってる
鶏肉…
カレーを混ぜてる―――
と、動作に集中した。
勢いの強かった火は消えている。出来上がったおいしいカレーを食べて満たされ、温かい風呂にゆっくり使って満足を感じて・・・、
幸せじゃないか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は「瞑想」の事はよく知らない。そのカタチを取ろうとも思っていない。ただ、日常からその状態に入る事は多いし、いつものように氣が向いて調べれば「それを行っていた」というタイミングで少しずつ後付けで知識が入る。
一瞬の感情から繋がっていく記憶、既存のルートを走らせるのか、
「ねぇ、今何してる?」
(えっと、ジャガイモ切ってる―――)
と、目の前に集中させて、さっきの感情→記憶(執着)のルートから離れる。
感情があった事を消した(否定した)んじゃない。それを認めた(確認した)から、違うルートを選んで行った。
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この数年やって来た自分との向き合いの延長でなく、かなり真剣にやらなければ自分が負けてしまう所にいる。強い力は湧き続ける事はないけれど、精神だけは今、負けられない。
いつものように主人との会話で、現状を話していて、考え方自体は相変わらず”正反対”であるから、合意にならない会話だけどもそれは何の問題でもなく、今の私は他(自分以外)にエネルギーを向けていられない。
ただとにかく、私が私に集中している状態なだけで、昨日ふと気になっていた事を聞いた。
「まだ自分が運が良いと思ってる?(言ってる?)」
一時明るく自分に暗示するように伝えていた主人。継続する事が得意な人なので、ずっと続けていたと言う。
だけど。
「”アメノミナカヌシ様”もそうだけど、これを言ってるのって、”執着”なんじゃないかと思って…」
と話した。
意外な返答でビックリした。私は主人がやり始めた当時、楽しそうにそうしている主人の行いを、自分の感覚でしっくりくる言葉を選んで行っていた事を否定するつもりは全くなく、続けるのも止めるのも自由と思っていた、私はやらないだけで。
「なんか、”起こる”訳でもないし、それを続けなくても別にいいのかな、って」
何かを祈る時、願う時、してないつもりでもそこに”想い”があり、その成就を望むから執着もしやすい。”起こらなければ”もっと願うという、更なる”想い”を重ねる。
「”そう言う事”などをあまり考えないで、行動は継続すればいいのかな…」
その様な事を言っていた。
私には私の、主人には主人の、見つめるべきモノがある。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!