機能の現実化
報酬~~>お金へ
脳の機能が表へ現れて、現実化した形
自分の身体なんだけど、この身体との”対話”なんてした事ないだろ?
あちこちでそういう指導はされているんだよね、ちゃんと。だけど如何せん、そういう話ってーのは、この世に直ぐに採用されないのよ。
そして何せ、目に見えないから(笑)
目に見えないものは、目をつけにくいよなぁ。
この世には、価値を同じにしてしまうものと、全くそうでない事とが入り混じっている。
人の機能を見える化していくのがこの現実世界なら…
この先、どんな事が現れてくるのか楽しみだ。
(10/2メモ)
本当の願いとは。
本当の願いというのは、実はこの「意思表明」のことなんじゃないか?
これも別の「意思表明」の形としては当たり前のこととして世に出ているけども、だからこそそれは逆に、”本来”よりも大分距離が離れてしまった様にも感じる。
願いを叶える、という事を恐らく多くの人は”難しい事”として捉えている。だから難しく、中々叶わない(と思っている)のが願いである。
では、この意思表明は?
自分の想いを表すだけだから。なのに意外とやらない。やっていない。なぜだろう?
一つは単純に、そうする事と気づいていなかっただけ。もう1つは、こちらの意味がメインなのだけども、この”自分自身”が、「そう思っていない事を分かっている状態」だからだ。
(10/2メモ)
「アナログ」、人はアナログ。
”ココロ”というのはアナログという事だ(仮)。
人が機械のように”そうしない”のであるなら、それは手動で行われているということ。
オート(無意識)では、意思表明しない。自ら意識的にやらなければ殆どやっていないから叶わない。
スイッチを入れるように表明し、その後はオートで任せる。実行はアナログ、この世に肉体を持っている身だから。
オート、アナログは使う場所が間違えば反転してしまうので、そのオセロ具合を知る必要はある。
(10/2メモ)
・・・ ・・・ ・・・
3つのメモは、湧いたままのバラバラを書いているので、精査されていない。こうして後で読めば、”?”というものがあり、考えてしまうとそれだけ奇妙。まとめなければ、脳はそんな状態。
以下、補足的に書いて行きます。
大分前から、脳内で言う”報酬”のことをよく頭に浮かべていて、それはホルモンという様な話をしたい訳ではなくて、これは冒頭にそもそも思いの結論はあって、”脳の機能が表へ現れて、現実化した形”という事を感じたもの。
社会の中で意味する「お金」という事とは違って、また以前に書いた過去記事の、私の思う”お金の役割”の意味ともこれは違くて。それはそれとして、あくまでも「脳の機能が形を変えて(脳内から)現れ出たもの(=顕現)がお金かな…、と思った事を書いたもの、感覚的に。使った言葉をそのままに、「表へ現れて…」ヒョーゲンしたものでもよいとも思う。
それ以降の内容は、あるストーリーの文言に使おうとしたので、口調が別人格、おまけ的なもの(笑)。
「同期する・させる」
外にソレがあればこの中(脳)はその状態がある。
・・・
メモの通り書いているのでそのまま移しているのだけど、私的には”表明”は別にしなくてもよい、と思っている。私自身、軽い・小さな事くらいしか口にしていないと、自分では思っているから。
その表明は、自分自身に”聞かせるため”には大切に思うけども、これが普通にできる・習慣になっているのであれば、表明自体は問題でなく、「意思・意志」があくまでも重要という考え。
”願い”という表現になるから、その途端に何か特別な、普段あまり意識されていないような事を持ち出してくるけども、”本来は意志(意思)の延長だろう”という事を思い、メモしています。
だから、”難しい”・”叶わない”などという思いも出るのではないかと。
つまりは、3つ目の”アナログ”とも重なるけども、人はアナログ部分も多く、その意志(心)をあまり使っていないのでは?という所へ考えがあった。
反応・反射に紐づく心は使われているかもしれないけども(それはオート)、”願い”という先へ繋げていく事へはあまり使われていないのかな…と。そしてそれは、決めたらやり直せない事でも何でもないし、未達で方針転換だってもちろん良くて。
ただ、事が変われば願いが変わるという事は、比較的サイズが小さければ、「どんどん変更されるもの」と思う。
この表現↑、違和感ありますか?逆じゃないかと感じますか?
抽象度の高低の話になっています。また、自分の反映をそこに観ることができます。大きなものは、あまりコロコロスピードを持って変わるものでなく、シンプルなはずなので、”変わらない”という意味です。
そこから、“次元を下げて考える”という事が、現実側へ具体的に落としていくということ。
脳の機能として、「意志・意思」の力を上手に使って、また機能としての”オート”へ繋げてと、両方を使う(使われる)。
誰かの言葉を耳にして(目にして)、そこに私たちは反応する。
自分が何かを表明したものを「自分に聞かせる」。それにどういう反応が出るかという事は、他者の時と同じく自分の中から反応がある。
敢えて、自分に自分の「音」を聞かせると(読ませると)、聞こえてくる心の声がある事に気づくかもしれない。
追1)
願いというのは、自ら叶えていく事もあれば、他者(ナニカ)によって叶えられることもあり、もっと言うと、後者の方が圧倒的に多いと私は思っている。
また別に、これを書いているから思い出すけども、私は「願望は、自分自身が叶える必要はない」という考えがあり、それは何方かが行う事によって事がなされるならば私にとっても願望成就であって、”ソレ”を望み達成することに、自他は関係ないでしょう?という考えを持っています。
「ソレ」が望みならば、という事です。
自分の望みでありながら、その達成には“自分”が必要とは限らない、ということです。
追2)
記事予約をする前に、主人に聞いてみました。
『心ってアナログだよね?』
「ーー、俺はどっちかと言えばオートだと思うけど…」
アナログかオートかを訊ねた。
主人は”オート”と答えた。
確認のため説明を聞くと、もちろん納得の返答。この記事内容を知ることなく該当することを口にした。
《反応・反射に紐づく心は使われているかもしれないけども(それはオート)》
私達のココロは、過去の再生に紐づく事が多く、意外と創造へ向けて使っていないということを感じた。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!