今日もありがとう
・ごわごわしてるな~
・色が薄くなってきたなぁ
・どのくらい着てるんだろ?
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・
匂いが立ちやすいタオル、枕カバー、下着…。
洗濯物を畳むひとつひとつを手にする瞬間、それにまつわる”エピソード”が湧いてくる。静かに、ほんの一瞬だけ。
そこから、あーしようかな、こうだよね、と思考へ発展している。
過去のノートをパラパラ見返すと「分かったような口調で」書かれていたり(恥ずかしい(*‘∀‘))、してないようで、ガッツリ思考で一杯だった。
感覚・思い。
それだけの事って本当に少ない。その種を元にした”思考”はホントはどれくらいなんだろか?
感覚・思いからでなく、「記憶から引っ張り出した思考」に、私達は振り回されていないだろうか?
頭と心とハッキリと分ける事なんて出来ないことだけど、少なくとも、静か~に過ごしているその時、何が聞こえましたか?どんな香りがしますか?目を瞑ってみると、他の器官の活躍に気づき易いかも知れない。
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なんか、私ね。
口で言ってる程度じゃなく、ホントに”アホ”みたいよ、「無知の知」どころのレベルじゃなくて。
えっ?
そんなの前から知ってるって?あらやだよ~、ちゃんと言ってよ、勘違いしてたじゃんかよぉ・・・。
マジメにね、勉強とかに興味がないから、知識が深くなるわけがないよね。私はそれで良いと思っているから、今までそう生きてきたのだけども。
ちょっと気になって読んだ”体のしくみ”を考えたら、一気に自分がこっぱずかしくなった…「うわぁ、私やべぇなぁ(*_*)」つって。
「おチャラけて明るくしてる場合じゃないよ、私!」とツッコミが入るくらい。だからと言って「勉強しよ!」と言ってる訳ではなくて、やっぱり私なんて者は、いつも知っていなくて、「分かったつもり」のくり返しで。
その度に軽く脳天撃ち込まれてショックを受けて、また立て直しのくり返し。情けないと自分を責めるやら、過剰な意識を程よく自分で調整しているみたい。
人の目指す所というものは、詰る所一緒と思っている。それを左から攻めていく人と右から攻めていく人とあるのだと感じている。
私は右からだから、一般的な(←私の目から見て)左から攻めている人たちの思考の仕方に気づくのも”遠いもの”になる時がある。世間知らず、アホ。
単に質の違いなんだけど、たまに私は衝撃を受けるのね、この簡単な事も解ったつもりだったか、と。
やろうとしてやった事はないけども、そもそもが間違っていた(*^^*)
「内側にあるものは”内”」
(と思ってしまっていた自分、の意)
見事なまでに無視していた理屈。ほんの少しだけ私は利口になった(笑)
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『知的に理解することでわかったつもりになることが一番危ない』
『感動で救われたり、わかって救われるのではない』
と言う言葉を、仏教を扱った漫画家さん(?)が触れていた事を思い出す。
結局両方、両輪、バランス。また、【全て】という、ここに収められます。
うわ~~。私、一部をスクショ撮っていて、よく読んだらお名前が載っていて。調べたらnoterさんでした!後で見に行きます(*^^)v