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その”場”で感じる事を

音声でも話したけども、自律神経がバラバラ、乱れている模様。”症状”から見る状態は様々あるけども、それの大元は神経の事だから(*^^*)

少し距離を空けて自分を観てみると。

食べ物の変化→→腸の生き物の変化→→脳の変化➡”私”というイキモノの変化が起こる、と少し期待を込めて。

私という人が、今まで築き上げてきた「私」でも十分。

されど、違う自分が”創られる”なら、それに会ってもみたい(笑)

時間がかかるだろうけど、大きな導きになりますように!

(”あ~、何度言ってるんだか”、っていうのは禁句だね(笑)人なんてあーだこーだと”良い事”見つけて自分をどうにか前へ引っ張って行ってるんだから。何かに嬉しくなり、喜ぶ。それで脳内を幸せにする。その為に色んな事をしてるんだから(*^^*))


本当に今月に入って特に感じているのだけども。

少し前の時代に。
自分たちが、そのようにして来た、”そうある事”として身に付けてきた事は、やはり今の時代でもとても大事なんじゃないかと。

以前にも似たような触れ方はしているのだけども、ここ~5年位の間に私が見聞きして学んできた事は、それはそれとして両方へ可動する為に必要な事ではあったのだけども、今また逆に更に”昔”が強調されているように感じている。


それは、目にするものが似たような考え・在り方、という事は当然否めないのだけども、その状態「力」が必要な時というのはやはりあるんだ、と感じていた。

結局何を支えるにも「そこ」という部分が必ず必要で、その底力がその後に続く生み出しに繋がっているわけで。少し目が覚める想いがある。その”差”が、結果の差なんだと、心から認めざるを得なかった。

でそこで、だ。

自分も同じようにそうしていく事を目指したくなるのだけども、ここで考える。

「その状態を、”どこに当てるか”だよね」と。

個人差のあるものを安易に言い訳にしちゃいけないと思うけども、得意不得意があるのだから、自分に於いては、それをどの場面で使うか、ということを考える。


言い方を変えると、自分の全てを注ぎたいと思う事には、自然とその姿勢は出るんじゃないか。ただ、その機会がなければ出す場面もない。だからある意味に於いては「機会」があること自体が文字通りの”チャンス”となる。(無意識に書いたけど、本当にそうかもね、これ)

世で使う”失敗”という状態をも想定しながら、その状態は”結果”としてただ終わらせることがないその姿勢。一つのアクションをそれまでの結果として見るのでなく、必ず未来へ繋げて行くコトの途中として「観て」いる。ただそこに白黒があるだけ。

人だから、白黒判定したい。感情があるからどうしてもその様に通常は振り分けられてしまう。

ここで終わらせること。
いつも未来へ向けること。

どちらも場面によっての使い方ではあるのだけども。

自分の中からニョキニョキと湧き出る感情を引っこ抜き、前進のためだけの”目的”にしっかりフォーカスし続けることができるのは、やっぱり強いなぁと思った。


AIの活躍が盛んに言われるようになって。頭の良い”人”が世に一気に増えたも同然なんだけども。その土俵にかすりもしなかった人にとっては全く関係ない話。

AIが不要という意味ではなくて。

私的には、大いに活用し得る”もう一つのアタマ”という位置づけで考えていて(殆ど使った事がないけど)、使わない手はないだろうというスタンスでいる。


ただ、今のこの私の”書く”における関連では、手を貸してもらう事は考えていなくて、生み出し部分においては、(絶対)自分でやりたい部分なので任せたくない。

これを今日の記事の”括れる観点”から触れてみると、私は自分の行動の中で、「書く」以外の事でも、”贅沢な時間の使い方”を感じている事はままあって。それは楽しいという表面からの見方とは別にもう一方から見てみると、「暇つぶし」的側面が浮き上がるように思う。

十分楽しんでいる・この行いに捕われ喜びを感じる事ができる、だから続ける事ができる…。表では何の”問題”もない、それは十分にシアワセな事と思う。


だけど。

意識はいつも同じ事を”答え”として寄越さない。

ある時は”喜び”であっても、ある時はその意味を考えてしまったり、そしてまたある時は怪人二十面相と、”同じ”は長く続かない。だからこそ、「継続(できる)」という事は、やはりすごいという事にも繋がる訳だけども。


この表意識で持つ事の出来た「目的」というのは、しっかりと自覚が出来、矛盾することなくそれを具体的にし、やる事を明確にしていける透明性があるもの、と思う。

対して、もう一方には暗さも感じる”目的”もある。

”陰”は、なくすものではなくて、表を支え続けるもの。ここでは閉じ込めて陰へ追いやったものの意味ではなく、大きくはこの「自分」という存在を、この世に維持させる為のその陰の存在。


表のそれによってここの目的もまた”達成”されているとも言えて、支え合っている。いつもしっかり同時に進行しているんじゃないかと、ちょっと思ったりしている。


よく、「本当に効率を考えるんなら生まれてすぐ…」というあれ、あるじゃないですか。

人って、色々を考えられる様に進化してしまい、様々を感じ取る事ができるようになってしまったからこそ、いらぬ”苦しさ”もしっかりと味わう事になったんですよね。

非効率に時間を使い、自分の納得のいく人生の暇つぶしができるという事が、実はけっこう幸せだという事を知るのは、大分後になってからなのかもしれないね。

時間の消化の仕方はそれぞれだ。

川の流れは場所で変わる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!