創られて行く
同じじゃないよ、全然。
”信じる”という事の対象によって中身が全く違う。
外部的要素を信じているのか(物事・情報・人)、それを選んだ「自分自身」を信じているのか。
中身が全然違う。
”自分の選択を信じる”という事が、その人の、本当の”氣”という事と思う。
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【ラッキー脳が創られる】
まずは、昨朝のワン散歩の話。
やっぱり、とてもラッキーで。朝、目覚めてから階下に行く前に、ヌボータイムと緑タイム(外の緑の樹々を眺める時間)を寝室で取る。
暑くなるのが早いので、冬場のように時間は取れないけれど、少なくてもほぼ毎日。
「暑い空気…降りようか」
朝からこれじゃ、(このまま行くと)暑くなるから急がなきゃ…。という予測を自然とする事によって、気持ちが急ぐのね。
まぁでも今年は殆どを大きな雲に助けられて、とても助かっているから「分かんないよね(*^^*)」という思いがある。
昨日の結果。。。
1、2陣とも、ほぼ曇り空でのんびり。ワン達にとっては人が感じるほど涼しくはないかも知れないけれど、湿度の高さはどうしようもない。
「やっぱり、ラッキーだよなぁ」そう思いながら歩いていると、2陣目、最後の直線でやっとアマテラスが主張。
「はいはい、解ってます。あなたが隠れていてくれたから、私は助かりましたよ。」
そんな独り言が心を流れ、笑いながら家に着いた。
掃除当番の話。
起床後、ボーっと西の空を見ていた時、人の話し声が聞こえた。
「早い時間からまぁ…」
と、歩いてきた人のひとりは近所の方。”お掃除の格好”をしていて、「朝から掃除か…」と自宅の庭手入れ位にしか思わなかった…瞬間ピンときた。
「あれ、不燃ごみの当番、8月じゃなかったっけ?下で確認しよ。」
降りて表を確認すると、今月が当番だった。「気づいて良かった~」と、散歩後はワンの食事だけども、その前に行ってしまおうと、済ませて一件落着。恐らくご近所さんが大方やってくれた後で、殆どきちんと分けてあった。
朝、”あの声”に気づけて良かった~、ラッキー!って思った事だった。
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2つとも、偶然で片付けても構わない話なのかもしれないけれど、私が感じるのは、「スルー出来る事を気づける(キャッチできる)事がラッキー」と思う事。
それに気づかなかったとしても、何の問題もないのだけれど、その陰に隠れたもの、
曇り空で散歩できる方が私には有難かったし、そのタイミングでそうなってくれた事、そうなるタイミングに、自分の行動が重なっている事、ひとりで当番をさせないで済んだ事、、、などがこんなちょっとした事で「良かった」と感じさせてくれている。
「”ラッキー脳”が創られる」
「ラッキー」と感じる様な脳、思考回路が創られるから、何てことない気づきが大切なんじゃないかな?と私は思っている。
・・・掃除の話は、今年の表を手にした時に、我が家の当番がいつなのか、日にちじゃなく、「月」だけインプットしていた。これが、目の前の「掃除か…」という思いと結びつき記憶から引っ張り出してきてくれた。
(他)人の記憶の仕方は判らないけれど、上記のように私はあまり細かい記憶をしなくて、”イメージ”と組み合わせて記憶している。
不燃ごみの日は「第一月曜・第三月曜」と決まっているから、これは月アタマの月曜だけイメージしてある。”一週空けて”も重ねて入っている。
だから、記憶する意思で軽くアタマに入れたのは「8月」という月だけだった。
キーワードで引っ張り出される。目の前に映る光景は、それが「庭掃除」だろうが、「トイレ掃除」だろうが何でもよくて、「掃除…」に反応したのが無意識だった。
無意識の働きは、ホントに素晴らしいよ(*^^*)