REST=再構成であり休息
メタバース芸大RESTは教える側にとっても知の「再構成」であり「休息」であるという与太話。あと。現在の知はそもそも対話の中の揺らぎの中にあるのではという話。知らんけど。
世間ではリスキリングだ何だとうるさいし、それに乗じてわけのわからぬ資格ビジネスが跳梁跋扈していますが。
そういう「俗事」はさておき。
メタバース芸大RESTの1講師として「教える側」の準備を毎月しているのは当たり前だが、私にとってはこれまでの人生での学び全てを見直す行為『RESTUDY』(=「再構成」)であって。もちろん。それだけでは(「教える」には)全然足りない!ので必然的にさらに「全ての領域の知の文脈」にアクセスし直すことになっていて。
端的に言うと「これまで手に取らなかった本」にもあらためて手を伸ばす良いキッカケ「読書熱の再燃に繋がっていて」良い感じだ。
うん。年齢的にはもうとっくに「これまでの経験」で"傷つかない象牙の塔"得意な領域に閉じ籠るやり方もあるだろうし、実際に専門分野で立場のある方ほどそうした傾向も多いようにも見受けられる時もありますが。まあ。これはペラペラ素人の私の特権だと享受している。
また、毎日の日常でコスパ至上主義、一体誰と戦ってるんだみたいな軍事用語もといビジネス用語が怪しげに飛び交う中にいてると。仕方なく巻き込まれて消耗するような感覚がありますが。
それ『人間性の喪失』をデトックス。『REST』PCやスマホを閉じて「休息」する行為にもメタ芸の授業準備はなっていて、これも人間性を回復する上でも良い効果だと思っている。つまり健康にもいい。
・・とここまでつらつら書いていて。思ったけれど。「一期生」として「学ぶ方々」には申し訳ないけれど。講師として「教える側」もメタ芸はメリット多いな!と再確認。これ読んで「教える側」も俺も僕も私もやってみたい!と思った方とか関連のディスコから意思表示よろしくだ!
現在の「知」は「一方的に与えられる」受け身の時代ではなく、対等の立場にある「教える側と学ぶ側」の双方向の真剣勝負なライブ対話。その揺らぎの中に答えをそれぞれに探す時代。(昭和の漫画とかで川辺で殴り合ってわかりあう時代錯誤なイメージ?)
賢い俺!俺最高!崇めよ!みたいなバカなナルシスト教祖はいらんし。もと教師だとかガラパゴスな世間知らず公務員、青い鳥でもいつまでもどこまでも探して逃避してる旅人気取り人はうちはいりませんが。
メタバース芸大RESTは年齢や性別に国籍など全て問わず「共に学ぶ」真摯な人、誰かに教えるために全力を尽くせる方を絶賛募集中。熱く燃えていきましょうぞ!
「教える」と言う願いを込めて準備するのは楽しいぞ〜。てか、今夜も全力で頑張るぞ〜