ワーキングホリデー
こんにちは。Juです。
最初の投稿からだいぶ時間が経ってしまいました。
多分仕事が忙しくなって、やることが増えてきてたのかな…
とりあえず久しぶりに書きたくなったので書いてみようと思います。
まずは、ワーホリの話です。
2006年8月28日、親友と二人で横浜へ。
ここで、なぜ東京じゃないの?という疑問が残る方いますかね。
(いません!!!そんなのどうでもいい!)
えと、一年間住んでみてもし留学することになったらその時は東京になるよね?ならとりあえず標準語が使えて東京から近いけど東京じゃないところは?横浜!!!というのりでした。笑
そんな理由で横浜での生活が始まります。最初は青葉台のとある寮で3ヶ月、そこから引っ越して緑区の月極?マンションで残りの9ヶ月を過ごします。この1年がなければ今の私もなかったんだろうと思います。
まず、来てすぐの頃は話を聞くことと書くことは割とできていましたが、話すことは中途半端な状態でした。でもアルバイトはしたいと思ってタウンワークで職を探しました。当時は今よりは外国人は珍しいものだったと思いますが、怖いもの知らず、雇っていただけるならありがたく!という姿勢で面接に行き採用されました。どのくらい面接してもらったか覚えてませんが…一応言葉のためにも外国人がいなさそうな、写真がやりたかったので関係のある仕事で探して結局写真館、某ショッピングモールのスタジオアリスで働くことになりました。ちょうど七五三で大規模募集だったんでしょう。(2006年10月〜2007年の7月末まで)
当時の私は片言の日本語レベルで、接客と営業の混じった仕事でとにかく喋らなければならず、意味もわからずマニュアルを丸ごと覚えることしかできませんでした。幸い最初は子供の着付けとヘアメイクがメインだったので片言日本語でもなんとかなりましたが、大人との会話も普通にしなければならず、今思えばやばかったんだろうと思います。
働き始めて3ヶ月くらい経ったかな…七五三も落ち着いて気がづけば話すことも上達していました。この仕事をしてなければ今のように話すことは不可能だったと思うくらいすごく大事な経験だったと思います。
その後、七五三が落ち着いてシフトがだいぶ削られてしまい、掛け持ちで五右衛門で働くことになります。ここでは一時帰国するぎりぎりまで働きました。今でもパスタが食べたくなると五右衛門に行くほど大好きなお店です。
ワーホリの1年間二つのアルバイトをしながら、休みの日は東京に行ったり鎌倉に行ったり、横浜の繁華街に行くなどすごく楽しい時間を過ごしました。この1年がなかったら今ここにいるのか?と思うくらい、私にとっては人生のターニングポイントだったと思います。
あの1年間のエピソードはたくさんありますが、全部書くのは無理なのでこのくらいにしておきます。
次回はワーホリ後の話になりますかね。
ちなみにその後半年ほど一時帰国して2008年3月に東京へ渡ります。
いよいよ留学生活の始まり…!!
続く