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子どもに救われる


親は子どもを養う、守る、教える
そんな意識はどこへやら

そんなことをふと感じて

子どもを記録したつぶやき・記事に目を向けてみる。

改めて、日々救われているなぁと感じつつ、

このNoteを始めた際の自分に課せたルールを思い出す。

日々勉強常々精進精神で学ぶ一つ一つを自らの頭に身体に叩き込むために、抽象的な内容であろうとも書き記す。3歳児1歳児の成長記録があれば、後から見直しても吐き気がしないかな。逃避。

そうだ。そもそも子どもに救われる前提で書いてた。

本当にありがたい。生きてくれている。育ってくれている。

ただただ感謝。日々感謝。はぁ、可愛い。

時折聞く、児童虐待のニュース。

2019年に全国で摘発された児童虐待事件は1972件、被害にあった子どもは1991人。ともに前年比で約1.4倍となり、過去最多。死亡した子どもは54人。警察が児童相談所に通告した子どもの数は9万8222人で、これも過去最多を記録。

理由の一つには「子どもが言う事を聞いてくれない」があるらしい。

力の差はあろうも、親子の関係があろうも。いう事を聞く。

これが子の在る姿ではない。ヒトにはそれぞれ個性もあり、自分が存在している。概念の押し売りは出来ると思うが、それを善悪判断するのもその子次第である。ただし、家庭環境や育って来た集団の価値観によって判断基準も培われていく。核家族化が定着化しており、地域の繋がりや横のつながりも薄くなりつつある昨今。貧困化や自己肯定感の薄れにより弱い立場の子どもが被害に受けるケースはただただ悲しくてならない。

障がい児・者の家庭もそんな場面に出くわすことがある。ほぼ子育てを放棄した家族。こと在るごとに手が出てしまう親。子どもの財産に手をつけてしまう家族。

これらがニュースになることで、児童虐待に対する社会の関心が増大し、児童相談所への通報が急増する。しかしながら、それによって、虐待をする親へのバッシングが増大し、その事例を隠そうとする隠蔽行為につながりやすくなったのも事実。

児童虐待の原因は、親個人や個々の家庭の概念や考え方の歪みであり、経済的困窮も個々の家庭の働き方や生活における生き方の概念であるとともに、福祉でフォローしきれていない社会の問題と問題の事実把握が曖昧ゆえに対策が監視のみでなされていないことになるのかな。

親は子があって親。子があるからあなたであるかもしれない。弱者を守る。だけでない。生きていることで気持ち救われるそんなことを実感。子どもの成長で自分の変化にも気付く。そんなこともある。

いう事を聞く/聞かないではなく、何がこの子には必要なのだろう。

私の子だけではない。私と妻・夫の子。遡れば、私の両親、妻・夫の両親の血を受け継ぐ子。明らかに自分ではない。

自分であっても自分のいう事を聞かせるのは大変。

やってみたらいい。自分に自分のルールを課して生活を送ってみればいい。

絶対しんどい。そこに納得感が無ければ尚更。自分を知れてないと余計に。

自分の子は自分の子であってそうでない。この子は何を考えているんだろう。この子に何が合っているんだろう。この子ってどういう子なんだろう。

自分だけでは分からない。だから夫婦。2人いる。その家族がいる。

「私は」そこに自分はいらない。だって自分じゃないんだもの。

似てても違う。まったく一緒ではない。

「子どもの話」子どもの人生をどう考えさせるか。どう経験させるか。どう学ばせるか。それをしてみればいい。

イライラするのは「自分だったら」の変な基準があるから。

相手は「自分じゃない」子どもだけじゃなく、

全ての相手は「自分」ではない。対人のイライラは全てそれかもしれない。

また学ばされた。感謝。そして、生んでくれた妻にも感謝。

妻の家族にも感謝。自分の親家族にも感謝。全てのヒトに感謝。忙しっ。

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!