昔話に学ぶ《も》も
ある程度終わったように見えた
みにくいアヒルの子
終わったように見えた?
全く終わってなかったんだよね
おいおい
深読人
なんか認識ズレてないか
読み飛ばしてる場所ないか
そんな声も聞こえてきたり来なかったり
知らない読者の声
それも深読ニスト
とりあえず内容を復習、、、
とあるアヒルの群れで、
卵が孵りました。
しかし1羽だけが黒い雛で、
アヒルの親はその姿に驚きます。
しかし
他の雛と同じように上手に泳いだため、
一緒に育てることにしました。
ただ黒い雛は、
周りのアヒルたちから
「みにくい」といじめられ、
耐えきれなくなって
家族のもとから逃げ出します。
しかし
みにくいアヒルの子は、
他の群れへ行っても
いじめられてしまうのです。
しだいに、
生きることに疲れてしまいました。
冬が終わって春になる頃、
みにくいアヒルの子は
自分を殺してもらおうと、
白鳥が住む水辺に向かいました。
そこで水面に映った
自分の姿に驚きます。
黒くてみにくい姿だった雛は、
成長して立派な白鳥の姿になっていたのです。
そして
白鳥の群れにあたたかく迎え入れられ、
幸せに暮らしました。
おしまい…
あれ?
親驚いてる…
卵の時点で気付いてない…
他の雛と同じように上手に泳いだため、
一緒に育てることにしました。
え?能力見てからの判断?
ムゴくない?
いや。
野生の世界はそうなのかな。
生きる死ぬの世界
能力が備わっているかどうかが
大きく影響してくる
そんなものなのかな
その上で
容姿を責めてくる
なんて酷い世界だ
案外虐待って
身内から受けるケース多い
ハラスメントなんてワードもあるけれど
身近な存在から執拗に受けることがある
未だに無くならない児童虐待
実の親がしつけと称して我が子を傷つけ、
時に命を奪う、痛ましい事件が後を絶たない。
虐待やDVなどの「暴力、力による支配」
ある種、依存症であり、「脳の病気」でもある
アルコール、薬物の使用、ギャンブル、買い物
喫煙、窃盗…とほぼ同等の依存度の高い行為
暴力や力による支配
この時の脳は
気持ちがいい、ストレス解消になる、
目の前の嫌なことから一時的に開放される、
などといった「快感」が伴い
脳内報酬系という神経回路を活発化させる。
習慣化恒常化してしまうと
ちょっとした脳の刺激であっても
その物質を使いたい、その行為をまたやりたい、
という衝動欲が湧き、再度繰り返してしまう。
閉鎖的な環境だからこそ
発生してしまうのだと僕は思う
オープンな環境なら絶対できない
クローズな環境だからこそ
悪いと分かっていながらも
やってしまう
人間の弱い部分なのだと思う
一人で抱え込む
夫婦で抱え込む
家族で抱え込む
チームで抱え込む
事業所で抱え込む
そもそも抱え込んでいる状況がよくない
児童だけではない
高齢化社会においては
介護者の虐待も後を絶たない
擁護者による高齢者虐待
福祉施設よりも
家庭で支えている人の方が多いらしい
発生要因で最も多いのは
「虐待者の介護疲れ、介護ストレス」(24.2%)
次が「虐待者の障害・疾病」(21.8%)
被害者に対する加害者の関係として最も多いのは
「息子(40.3%)」
「夫(21.1%)」「娘(17.4%)」
また、
虐待を受けている高齢者の家族形態は、
「未婚の子と同居」が35.7%
その多くは
当の高齢者自身が、
虐待を受けている自覚を持っていない
または
擁護者が虐待だと思っていない
最初は小さなきっかけであっても
次第にエスカレートして
最終的には事件
警察が軽犯罪を取り締まる理由と一緒
犯罪は刺激が強い
再犯が多い
だから
してはいけない
白鳥はよかった
自身が白鳥だと気づけた
だから自信を持てた
これって
アヒルに対しての偏見
が生まれたのと同意なのかな
自らと違うものを
「みにくい」と指摘し
いじめを行うアヒルたち
これらはこのままでいいのだろうか
2019年度(令和元年度)
いじめの認知件数 (日本国内)
61万2,496件で過去最多
いじめは、
自尊心を損なわせ
弱体化させることを目的とした、
執念深い、冷酷な、
あるいは悪意のある企てによる、
長期に亘って繰り返される不快な行為。
文部科学省の定義においては、
一定の人間関係のある人物から、
心理的もしくは
物理的な攻撃を受けたことにより、
精神的苦痛を感じているものとされる。
被害者は
人間関係に一生のトラウマを抱えたり、
再起不能(引きこもり、自殺等)
となる場合もあり、
傷害罪、暴行罪、強要罪、恐喝罪、侮辱罪などに
該当する犯罪行為である
つまりは
白鳥を虐めたアヒルたちは犯罪者
その周りにいたアヒルたちも犯罪者予備軍である
これらは僕らがアヒルたちである
可能性も大いにあり得る
集団の心理で
複数名いることによって
それがあたかも正解かのように
思い込んでしまう同調心理が働く
だからこそ
抱え込まない
生きてりゃどうにかなるんだけど
一人じゃ
どうにもならないことはたくさんある
それだけではなくて
一人じゃ間違ってても
間違っているか分からない
集団であっても
本当に合っているかどうかは
判断がつかない
人間は非力でちっぽけな生き物だから
集まっていたとしても
その力はちっぽけでしかない
だからこそ
たくさん協力者がいれば
たくさんの協力者がいてこそ
力が発揮できる
協力してもらうには
協力する
理解してもらうためには
理解する
自分がしてもらうだけではなく
自分がしてあげる気持ちで
助け合い
支え合い
そういう気持ちの一つひとつが
福祉の根本の根源なのかなと思うのです。
きっと
今も
世界のどこかには
救われない
助けを求めている
そもそも困るという概念すら忘れ
ただただ悲しんでいる
ストレスが当たり前になってしまい
認識すらも歪んでしまって
ただただ披露している
そんな人たちがごまんといるはず
一人でどうにかしようとしないで
きっと誰かに話せば
どうにかなることはある
誰かと誰かと誰かと
それを繰り返せば
より大きな力が動いてくれる
自分じゃ出なかった
アイデアが出ることだってある
自分一人じゃ出来なかったことが
力が合わさることで
出来ることだってある。
だから、
溜め込まない
抱え込まない
頑張りすぎない
ずっと力が入っている状態でなくて
スッと力を抜く瞬間もないと大事
少しでもオープンな社会に
少しでもオープンな地域に
少しでもオープンな環境に
そうなればいいなと思う
今日この頃…