昔話に学ぶ《と》
『星の銀貨』
という話をご存じだろうか
グリム童話の一つ
僕の大好きなお話の一つなのだが
このお話
大人になって読むと
福祉の基盤が隠されているように
思えるのは僕だけなんだろうか
内容は以下…
昔むかし
父も母も亡くなった
小さな女の子がいました。
とても貧しかったので
もう住む部屋も、
眠るベッドもなくなり、
とうとう着ている服と、
手に持っている情け深い人がくれた
少しのパンだけになりました。
それでも、
この子は
善良で信心深い子でした。
世間全般からこのように見捨てられたので、
神様を信じて野に出ていきました。
すると、
貧しい男に出会い、
その人が
「ああ、何か食べるものを下さい。
お腹が空いてるの空いてるのです。」
というので、
パンを全部手渡し、
「神様があなたを祝福して下さいますように。」
と言って先へ進みました。
すると、
子供が来て、呻いて、
「頭がとても冷たいのです。
何か頭を覆うものを下さい。」
と言いました。
それで女の子は
頭巾を脱いでその子にあげました。
さらに少し進むと、
上着を着ていなくて
寒さで凍えている
別の子供に出会いました。
それで、女の子は
自分の上着をあげました。
また少し行くと、
ドレスを欲しがる人がいて、
女の子はそれもあげました。
とうとう森に入り、
もう暗くなってしまっていました。
そしてまた別の子供がきて、
シャツを欲しがりました。
それで善良な小さい女の子は
心の中で、
「暗い夜で、誰にも見えないわ。
シャツをあげても大丈夫よ。」
と考えて、脱ぎ、
それもあげました。
そうして、何一つ残らず、立っていると、
突然天から星が落ちてきました。
その星は固い滑らかな硬貨だったのです。
そしてシャツをあげたばかりだったのに、
とても上等なリネンで出来ている
新しいシャツを着ていました。
それで女の子はそのシャツにお金を入れました。
そして生涯お金持ちでした。
おしまい…
この世は欲深い世界だな…
はぁ...生きてるのが嫌になる…
そういう話ではなくて
当たり前だと思っていた生活は、
当たり前なことなんてない
物があって当たり前でもないし
環境が整っていて当たり前でもない
家族がいて当たり前でもない
たまたま持っているだけ
たまたま環境があるだけ
たまたまいるだけ
自分のものでもない
自分が見出したものでもないし
自分だけの成果というわけでもない
もっといえば
生きづらさなんて誰でもあるし
誰でも可能性はある
だからといって
人を妬んだり、
貶め入れたり、
蔑んだり、騙すこと
が決して正解なはずがない
そんなことに
一生懸命になるのではなく
少しでも
幸せを周囲に広めていくこと
相手の幸せが
自分の幸せだと感じること
それが
生きづらさを感じる世の中を変える
最短の近道なんだと考える
のだけれど
いかがかな?
この話
因果応報という
昔話の典型的なストーリー展開だけど
ハッピーエンドだからいい話
ということではなくて
そもそも終わりがどうであれ
彼女がしてきたことの凄さ
ここに着目すべきだと思う
奉仕の心
なかなか容易に出来るものではない
そんな何回も何回も
自分のものを提示して
自分の損得なんて考えずに
スグに出来るものでもない
それをやってのける彼女の凄さ
アンパンマンが言ってたよ
「困っている人を助けた時、
心が温かくなって、
その時分かったんだ。
僕が何のために生まれてきたのか。
何をして生きていくのか、
何が僕の幸せか」
だよね。
そうそう。
自分ではなくて
相手のためにすることが
自分のためになる
実際に物が頂けるとか
お金が入るとか
自分にとってメリットがある
そういうことではなくて
相手が幸せだと私も幸せ
そういうシステムを
自分の感情として構築することが
自分の生きやすさにも
つながってくるんだと思う
キリスト教では
利他愛こそこの世に生まれる目的と
されているんだとさ。
利他愛とは、
他人のために自分を犠牲にして、
愛を与えるということ。
誰かのためが大事。
そんな思いが詰まっていたのかな。
それにしても
周りにあれくれこれくれの方が
こんなにもいる環境
余程だなぁと思う
最後に出てきた
ドレスを欲しがる女の子
シャツを上げた子供
彼か彼女か
あの子たちは
寒いとか空腹とか
症状もなく
ただただ欲していた
欲深いったらありゃしない
何でもかんでもあげてる少女がいる
と遠くから目星付けてたのでは
おこぼれ頂戴とばかりに
寄ってきたんだと思う
そう考えると
なんか腹立たしい状況だ
あ。いかんいかん。
人間が出来ていなかった。
純粋に何も見返りを求めず
誰かを幸せにする愛
私生活に欠片でも現れれば
きっと僕も成長するんだろうと思う。
さぁどうする?
何する?