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眠りに落ちてしまうその前に

これを記したのは、8/15 深夜4時。
どうせ朝は起きれないので、翌昼のSNSの予約投稿などを済ませ今。

その日の気持ちはその日のうちに書いておかないと忘れることもあるので、
少し書き記しておこうと思う。

世間はオリンピックや南海トラフやらで騒がしい8/14。
なんならお盆の真っ只中に、新バンドnousの初ライブを開催した。

新バンドをやるぞ、と企てを起こしてから数ヶ月。
やりたいことはかなりできたと思う。
だからこそ、最後の最後この企画に人が全くいない事態が起きたらどうしよう、と考えたことは何度かあった。

もちろんまだ理想には到達していないが、
来た人が温かい気持ちになって帰ってもらえるような、良い一夜にはできたのではないだろうか。(皆さんの協力のおかげで、集客も想定以上でした。)

お客さんはもちろんだが、出演バンドへの感謝はひとしおだ。
各バンドなりにイベントの意味合いを汲み取ってライブに臨んでくれたのだと、そう強く感じた。それだけでもやってよかったと思った。

ベタベタ仲良くするような雰囲気はなかった(し作りたくなかった)が、
なにかひとつそれぞれと分かり合えたポイントがあった気がする。

仲がいいから・友達だから、ということから始まるなにかもすごく好きなんだけど、いつかまた季節が巡って"あの時あのイベントがよかったから、またやりたいよね"となってくれたら、こんなに嬉しいことはない。
いずれにせよ、そういう興りこそが文化の始まりだ。

だからもし今日にポジティブなものを感じてくれていたのなら、
ゲストのみんなとはまた必ずどこかで会いたいと思う。

さて、nousにはもう一つ影のテーマがある。
"解放"だ。
今までやりたかったのに不必要な見栄や客観視でできなかったことを進んでやってみる。そしてその過程自体が僕自身の人間的成長であり、それを活動を通してみてもらえることにもなるはずだ。

話がコロコロ変わって恐縮だが、僕はプロレスラーが好きだ。
プロレスラーは相手を倒すために技を繰り出すわけだが、それだけではなく彼らはキャラクターを与えられ、(もしくは自ら見つけ出し)そのキャラクター設定を守りながらプロレスをする。

悪役には悪役なりの流儀があり、
良いものには良いものの流儀がある。
リング上では、立ち居振る舞いもファイトスタイルも、
すべてはキャラクターに収斂していくのだ。

ただ僕がプロレスラーを見て一番好きな瞬間は、
"キャラクターを超える瞬間"だ。

例えば、普段は悪役に徹しているすかしたレスラーが、永遠のライバルである良いもののレスラーと戦うとしよう。最初は悪役としてラフプレーなどをしていたが、試合が進むにつれてだんだんと我を忘れ、自分が悪役であることなどお構いなしに目の前の相手を倒すために、全力を尽くして技を出す。
相手に言葉を吐く。

つまり、つい与えられた設定を超えて、
背後にある一人の人間としての純粋な感情や、言葉、技を繰り出す瞬間。そこには例えようのない熱量と、説得力が宿っているのだ。

ステージにはステージ用の人格が必要だと常々思っている。それはわかりやすくアティチュードを示す意味合いにおいて、とても大事なこと。

でもプロレスラーを見ていると思う。
キャラクターは、ここぞの本音を際立たせるための装置の一つでもあるのだと。

nousというプロジェクトも人格の一つであり、キャラクターの一つだと思う。だからライブなど一発勝負の活動において、どれくらいキャラクターを確立できるか。反してどれくらいキャラクターをぶち破る瞬間を作れるか。それがひとつの物差しになりそうだと感じた。

かくかくしかじか脱線してしまったが、いい夜であった。しかしここは始まりにすぎず、この先にまだまだたくさんのマイルストーンをおいていかばければいけないと、気持ちを新たにした一日となった。

今日の気持ちを、速報で真空パックしてみた。

と、寝て起きて今一度見直し添削したので、投稿っと。







この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。