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「センスが良い」ことについて

ベトナムの街を歩いていて、「センス良い!」と直感で思うお店やカフェのデザインや人々に出会うこともあれば、「なんでこうなったと?」と思うディナークルーズやホテルのライトアップ、地図のデザイン、組み合わせなんてものもある。

そして、この感覚が街に混在している。この相反する感覚は何なのだろうか。

NewspicksのHORIE ONEで、ホリエモンがJR九州が鉄道以外の事業を始めたというニュースに付随して、「これからは田舎が強い」ということ、そして「田舎はセンス良い人が少ないからすぐ勝てる」という趣旨の話をしていた。もちろん、「言い方、聞こえは少し悪いかもしれないけれど・・・」という前置きをしていて、とにかく田舎の人々はガツガツしていない、と。

「これからはセンスが問われる時代」とよく言われるけど、このセンスは一体どこから来るものなのだろうか。そして、「田舎にはセンスが良い人が少ない説」は、本当にそうなのか、そうだとしたらなぜなのか。単純に、必要性を感じないからだろうか。

そもそも、センスとは英語のSense(五感)に由来している。そこから、美的感覚や感性などとも捉えられるようになった。

人でいうと、絶対的なオリジナル性を持ちながらも、協調性がある人、とも言われていた。言葉選びが上手かったり、観察力があって、人をよく見ている人もセンスが良いのかもしれない。これを読んでいて思ったのは、人にも、そして街のデザインにも共通していえるのは、「己を知る努力」をしているとセンスが磨かれていくのかもしれないということ。

オリジナル性というのは、自分と他者を知った上で、自分の強みを向上していく先に表現できるものだとして、そうするともしかすると周りと協調することや自らを知ろうとせずに周りと比較することだけ、無いものに執着するだけの人々がいる場所にはセンスは生まれないのかもしれないと。

田舎だから、というわけではないかもしれないけれど、「違い」や「多様性」を受け入れる、比較せず、自分を高めることにそのエネルギーを使う、誰に何をどう見せたいか森と木を同時に見る、そんな力が求められる気がする。

今住んでいるベトナム南部の河川の街、カントーは、住む場所としてのクオリティーが高いと思う。たとえ、世界の各都市を含めたとしても。コスパが良い。ある程度の娯楽とビジネスと自然と人々と情報の質。ありすぎず、無さ過ぎず。あとは、センスの格差。

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