「内向き志向」なのは、国家か、個人か?
「最近の学生は『内向き志向』だけれど、君たちは違うね」
「日本の若者は『内向き志向』だから海外に出たがらない」
「学生の留学期間が短くなっている」
そういった会話や論調を見聞きする度に、「内向き志向」の根源っていったい何なのか?そもそも、どういう定義で「内向き志向」という言葉を使っているのか?留学生数や期間だけで決めつけてよいものなのか?海外に出ないことが「内向き志向」というのか?個人の(特に若者の)心理的変化なのか?という疑問が次々と出て、モヤモヤが続いていた。
そういう私自身は、学生時代に1年程海外留学し、仕事や旅で50か国以上旅をし、学生会議や国際NGO活動に参加し、数か国のマラソン大会に参加し、バイク縦断し、複数言語を学び、海外赴任&駐在しているので、完全に世間一般から見られる「内向き志向」ではない。
そもそも、「内向き志向」の意味を調べると、
国家や個人が対外的な行動を避けるような行動を指向すること
と出てきた。
そうだ。「内向き志向」とは、国家に対しても言えるのだ。だから、「最近の若者は」等という隔たりに対する「内向き志向」がピンとこなかったのだ。
よく考えてみると、自分自身は「内向き志向」であった国や社会に対する反骨精神(「自分の人生、このちっちゃな場所だけで終えてたまるか」というエネルギー)だけが、私を動かし続けていた。
一橋大学国際教育センター教授の太田浩氏が述べているように「最近の論調では、近年の海外留学・旅行者数の減少を端緒に若者が国外に出なくなったのは、彼らの心理的な変化(内向き化)によるものだということがとかく協調されがちで、社会的、経済的、政治的な状況の変化については、あまり検証されていない。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも、「学生の内向き志向」について考えた理由には、ある出来事があった。(もちろん、今までもこの言葉を違和感を持って聞いていたけど)
先日、日本から15名の医学部学生、起業家、政策研究生がインドに来られていて、インドの医学部学生との交流やグローバルヘルス領域の議論を行うフィールドトリップを実施していた。
期間は約1週間。デリー、バンガロール、ビシャーカパトナム、ワイナード、そして最後チェンナイという強行突破な行程(笑)だったけれど、今回のプログラムはビル&メリンダ・ゲイツ財団からも支援を受けていて、各地でインドの医療分野で活躍する日系企業、NGO訪問を経て、最後チェンナイでは日印学生同士の議論を実施する、非常に充実したプログラムであった。
日本人の学生(医学部学生で既に20名程の従業員を抱える企業の代表)の方が、「僕たちは、インドに来るまでは、どうやったら僕たちがインドの医療分野に貢献できるかということだけを考えていたが、実際来てみて、すでにどの地域でも社会課題解決に向けて活動するスタートアップが山ほどあること、そしてそのどのスタートアップも自分たちと同じ世代や若い世代のインド人によって創業されていることを知って、今はどうやったら協業できるか?を考えるようになった」と言っていて、彼の言葉が、今のインドを象徴していると思った。
同時に、私が学生の頃に参加していた「国際問題や社会課題の議論」というのは、対象機関としては国連、そして議題に挙がるのは、絶対的貧困の撲滅、世界三大感染症(エイズ・結核・マラリア)の予防など大枠な部分であり、今回の学生たちは、医療×IT×スタートアップで社会課題の解決を目指し、それを新興国の同世代の学生たちと議論し、ひいては協業に持っていく、というとてもエキサイティングなもの。
これだけ聞いていても、彼らは日本の論調とは裏腹に、社会課題の解決に向かって突っ走っている。そして、それらは、多大なる「内向き志向」の社会に対する挑戦でもあるように私には思えた。
このプログラムを運営していたのも、20代の日本人学生や起業家である。そして、彼らは、親世代や地方有権者を説得するよりかは、同世代の学生をまずは世界に送って、新興国の学生と友好関係を持つことのほうが、はるかにスピード感を持って、政治や社会への関心を深め、ビジネス展開や共同研究を実現できるのではないか、と考えていた。
社会課題が無いことが本来の目指す世界なのかもしれないけれど、それはユートピアのようなもので、人間が生きる限り存在する。その中で、使命が明確な人々のエネルギーは、凄まじく強いのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「内向き志向」なのは国家?
この経験から、自分が個人的に持っていた違和感(論調にある「内向き志向」の対象は学生の心理の変化という点や留学生数だけで見る「内向き志向」という定義づけ)が、ある程度、内向き志向の正体は、個人に対してというよりも国家なのだ、という少しの光りが見えた気がした。
そして、今回出会った学生たちは、グローバル・ヘルス(国際保健)というテーマを持ってインドへ来ていた。
民間財団が数少ない日本社会のほうが、古いODA体質から抜け切れていないのではないか、留学生数という結果論だけ見て判断して、実際の教育現場がどれ程の学生への留学サポートを実施しているのか、単位互換制度を整えているのか、を把握できていないのではないか、という点。そして、親世代もしかり、なのではないか。
日本の学生から多く寄せられていた言葉で、「インドの学生は、未来を語る。社会課題の解決に向けて、挑戦し、明るい。」ということがある。
私が思ったのは、インドは「移動する国民」なのだ。冒険心が強い。インド国内ですら、多言語、多文化であり、あらゆる州を超えて、その州を超える勢いのまま、国も超える。国を良くしたい、母国の発展に貢献したい、そういう方々が多い。そして、州政府の力が強い。だから、中央政府が課題解決に向けて動くのを待つというよりも、海外にいる同胞たちにむけて、例えば海外送金サービスを拡充させる会社を起業したり、遠隔医療の技術習得も必要性が高い為速い。
あと、今関わっている人々は、40代50代のインド人の方々が多くて、雑談で「うちの子が今アメリカにいてね」「息子が英国に留学している」「私の世代は日本食や映画好き、娘の世代は韓国ドラマ好き」など、子ども世代が奨学金で海外留学していることが多く、他国で起業している人々も多い。そういう家族の海外ネットワークがある。日本でも、東南アジアでもたくさんのインド人と話してきたけれど、インド人はほぼ毎日家族と電話していて、そうやって彼らの親世代も海外の情報にも日々精通している。
「内向き志向」なのは親世代?(40代~60代)
「日本の若者は内向き志向」という論調に戻ると、そもそもその親世代はどうなのか?ということが考えられる。以前、日本国内のカフェで隣の席に座った20代くらいの男女カップルがいて、
女性が「留学考えてるんだけど、親に危険だからって反対されてるんよね」と話すと、「まじか。でもさ、行ってみなきゃわかんなくね?」と男性。ほんと、それなんだよ。行ってみなきゃわからない。でも、そういう親を持つ人々も少なくないんじゃないかと思う。日本での生活も大変なのに、海外に行くなんて、みたいに子どもに接している親世代も多いと思う。
親世代の高学歴化が進むと、なんとかして自分自身の学歴と同等もしくは上の教育機関に入らせたいと考えるマインドがあるのではないか。そして、日本の家計の悪化により、「日本でも厳しいのに、海外留学なんて高額すぎる」と考えるのかもしれない。
「学生に留学の希望があっても、実際にそれを実現できるかどうかは、学生の自主性より、親の意識や判断にかかっていることが大きい」とも考えられる。
前途のプログラム運営側の方が言うように、結局、そうなってくると親世代のマインドを変えるのは難しいので、いかに海外留学プロセスをシンプルにするか、そして学生たちをまず連れてくる、という勢いが必要あるのだろう。
「内向き志向」なのは教育現場?
より深く見ていると、太田氏が2007年~2011年の日本から海外大学留学数の減少というデータから考察した、海外留学の阻害要因が挙げられていた。
1.就職活動の早期化と長期化、新卒一括採用方式
2.単位互換制度の未整備(積算方法、授業時間数、評価基準が異なる)
海外の留学先でしか取れない授業を取りたいと思っても、そのような科目は日本の大学にはなく、互換できずに単位認定の対象外になることも。とりわけ留学制度の歴史の浅い国立大学では、単位認定の申請や手続きに柔軟性がなく時間がかかる(留年する可能性あり)そして日本と諸外国との学事歴の違い
3.国際教育交流プログラム開発の遅れ、留学プログラムの効率性の低さ
留学は一部の優秀な学生のためのものであるという意識が大学側が脱却できていない(+親世代も同じ)高学歴であったとしても、メリットが少ない雇用システム。海外大学院留学は、とりわけ経済的時間的投資を将来回収できるかの見通しが持てなければ、慎重にならざるを得ない。
なぜ、「新卒」は、実務経験が無いのにも関わらず、労働市場の価値が高い(と考えられている)のだろうか?なぜ、海外留学はリスクが高いと思われるのだろうか?
国家も、社会も、親世代も、一言で言って「過保護」「過剰な安全志向」なのでは?社会では、ダイバーシティーとか寛容性とかいろいろ言って、国家の宝である子どもたちを縛りつけているのは、他でもなく、自分たちなのでは?変わろうとしないのは、教育機関なのでは?とくに地方の大学で、海外の大学に留学した子がいない場合、学生は情報収集の面から負ける。奨学金、財団の制度、情報競争に勝つ武器を、与えてあげてほしい。
太田氏も「未知への挑戦や冒険に伴う危険性に対してある程度寛容でなければ、そもそも留学は成り立たないことを再認識すべき。」と述べていた。
こういった奨学金制度は少しは改善されてきて、政府の経済的支援も増えてきているものの、こんどは多額の奨学金に対する投資効果も懸念されている。そうなると、また、留学志望者に対して、とにかく大量の志望理由書、学歴、職歴、誓約書を書かせる。領収書も非常に細かくなる。写真サイズも、色も、背景も、大きさも、1㎜単位で却下される。(←これは、私の実体験。)コロナ禍での日本一時帰国時に提出した5枚ほどにもなる住所や連絡先、健康管理書、誓約書(私は公共交通機関を利用しません等と大量の文章にチェックを入れて署名)や、全国旅行支援に泊数ごとに書かされる住所や署名を思い出す。
海外留学の「パッケージ化」そして「二極化」
「若者の意識が本質的に内向き化しているというよりは、現状の日本の有様が彼らの目線を内側に向かわせていると解釈すべきであろう」
今まで、フィールドワークや国際協力などNGO訪問は、いわゆる教授や先生が付き添い、コーディネーターとして入ることが大半であったが、今回のプログラムでは、全て学生の手(そして海外財団、起業家)によって全てを完結させていた。それを、政府や教育機関はどうとらえるか?「内向きではない、今の学生はすごいね」と見るのか、むしろ「変わらないといけないのは自分たちなのだ」と自覚して、スピード感をもって行動するのか。
「国際舞台で堂々と自らの意見を発言し、世界を唸らせるようなグローバル人材が育たないことは、対外的な情報発信力を弱めるだけでなく、日本の競争力と魅力の低下につながり、海外の影響力ある人物や有能な人材を日本に惹きつけることができなくなることをも意味する。とくに科学技術の分野では、世界のトップ大学で博士の学位を修得し、海外で活躍する日本人研究者のネットワークが崩壊すれば、ノーベル賞級の科学者を育てる基盤がなくなる。」
実際に、留学生数だけで「内向き志向」を判断するのであれば、2011年以降、実は増加している留学生数という現実がある為、その判断は否定される。当然ながら、データの見方というものも注意が必要で、「留学生数」の数え方の変化も過去数年であり、留学生数の内訳であれば、全体の留学生数の62.2%が1か月未満の短期留学であるのだ。
この「長期間は行けない」という現実は、何も学生だけの問題ではない。
最後に、親世代が現在の「働き盛り」会社員ということを踏まえて・・・
ようやくテレワークとか多拠点生活が推奨されているし、地方自治体の支援も多く入っているけれど、そもそも1週間から1か月ほど、親世代の社員に休暇を与えてって思う。育休とか、旅行休暇とか、1か月ほどインドにヨガを学びに行くとか、理由とかなんでも良いし、いちいち聞かなくて良くて、とにかく与えて、と。それでも「会社の業績が悪い」「人材が足りない」と永遠といわれるのなら、その企業は社会にそれだけ価値あるものやサービスを提供できていないと割り切って。
留学を手取足取り支える「海外ツアーパッケージ」の考え方や、いつまでも学校の延長線上のように「過保護」な社会体制、教育制度や単位互換制度の未整備。留学生を多く抱える教育機関ですら、日本人学生には出願書や志望理由書を郵送で送らせて、面接は体面でさせる実情。間違ったらダメなので、海外送金や郵送に対して過剰な予防対策をする組織。それをできる限り避けるための、異常なまでの複数人での確認作業と決裁。
軽々しく、若者は「内向き志向だ」と言わないでほしい。これは、社会全体に蔓延んでいる「過保護」の表れであり、「内向き志向」を若者の心理的な変化とだけ捉えて改善しようとすると、方向性を見失う。
本来、変わらなければいけないのは、私たちの課題に対する捉え方、考え方だということが往々にしてあるのだ。
「内向き志向」なのは、国家か、個人か?
「最近の若者は『内向き志向』だからね」と言う前に、自身に問うてほしい。
創造の場所であるカフェ代のサポートを頂けると嬉しいです! 旅先で出会った料理、カフェ、空間、建築、熱帯植物を紹介していきます。 感性=知識×経験 மிக்க நன்றி