心で決める 自分が自分でいられる場所
少し前に書いていた。いろいろ考えていた。あの頃があったから、今の自分がいて、そのときに「全て」だと思っていたはずの環境が、そうではなかったと知った今。
自分が心のどこかで描いていた環境と、したいことはしているという想い。人に恵まれ、何不自由ない生活。なのに、なぜなんだろう。なぜ、自分を誤魔化している気がするんだろう。「好きなこと」をしているときって、無意識で、もしかしたら「好きなこと」をできていたのかもって過去を考えても無意味で、今、なぜこんなにも揺れる想いがあるのかといえば、ただタイミングでやってきた、また別の世界のワクワクする想いがあるから。
今日、初めて全員揃った集まりで。もっと、自由にやってほしいって。型にはまりかけていた自分の殻を、再度破ってみようって捉え方を改めるきっかけをもらった。人が良すぎて、でも、私は、なぜか別の、もっとおっきな、もっと、人生をかけてでも成し遂げたい何かってなんなんだろうって考えていて。
考えすぎなのかもしれないし、選択肢がたくさんあるのって幸せなことかもしれないし、ただ単純に、今の最適な道ってなんなんだろうかって。いろいろ、考える。わがままなんだろう、きっと。何かに甘えているんだと思うし、弱いんだと思う。どこかで必死になるのがバカバカしいって思っているのかもしれない。できなかったときの自分を認めるのが嫌だから。
そんなときに、タイムリーな記事を読んで。
頭じゃなくて、心で決める。自分が自分でいられる場所。世の中に流されずに自分の信念や心に従って生きる。得意なことや好きなこと、ライフスタイルそのものをコンテンツにする。人生をデザインする強い意志。自分の好きなことと得意なことはイコールになっていく。自分の得意なことは何だろう?ってすぐに答えを見つけ出そうとするけど、もしそれがわからなかったら、今自分が「好きだ」と思うことを10年程続けてみたらよい。何に、自分の命を使いたいのか。やりたいことや好きな事をやり続けていくためには、面倒くさいことも絶対あって、ただ、「自分の人生にとって絶対必要だから」と腹落ちしたら、人は誰しも頑張れる。
いろいろ考えるよね。間違うこともあるよね。我慢することもあるし、他人と比べることもあるし。こういったら、相手はどう思うんだろうかとか。
そんな、ふとしたときに連絡が来る人がいて、私が言わんとしていること、考えていて少し甘えたくなるけどそれを察して逆に少々厳しい言葉を掛けてくれる人、それでも悩んだときに、あの人だったら、こんなときどういう返事を返すんだろうかって考える人。自分が大丈夫じゃないときの「大丈夫」を信じずに、「言ってみたら」と言ってくれる人。
「人に頼ったらあかんで」って、また言われそうだけど、頼りたくなるときもあるし、単純に会いたいって思うときもある。
まぁ、いろいろと、これからだなぁ。